心の機微を描いた11の物語。柚月裕子初のオムニバス短編集『チョウセンアサガオの咲く夏』インタビュー
公開日:2022/4/7
11の短編に、柚月裕子の13年間が詰まっている。「孤狼の血」シリーズ、『盤上の向日葵』など、数々の作品で読者を虜にしてきた著者が、このたび初のオムニバス短編集を上梓した。
(取材・文=野本由起 撮影=冨永智子)
「読み直すの、けっこうつらかったです(笑)。私はデビュー作が長編でしたので、短編をご依頼されても長くなるきらいがあるんですね。特にショートショートは、原稿用紙5、6枚に収めるのに苦労した思い出があります。ゲラを読み返して、『そうそう、これ大変だったよね』って」
今読み返すと気恥ずかしいそうだが、どれも柚月さんの大切な足跡。
「『今ならこうは書かないな』という文章も多いんですね。その時々で、自分ができる限りのものを書いているはずなんですけど、今読むと流れがぎこちないなと感じるところも。デビュー以来、どうすれば読みやすい文章になるか自分なりに考えてきたので、多少なりとも成長したんでしょうか。過去の自分もここに残しておくべきかなと思い、ほとんど改稿はしませんでした」
認知症の母を介護する娘の秘密に迫る表題作、戦時下のペリリュー島を描いた感動作「サクラ・サクラ」、意外なオチが待ち受けるショートショートなど、ジャンルもさまざま。盲目の女性旅芸人「瞽女」を扱った短編も、2編収録されている。
「斎藤真一さんという、瞽女さんを描く有名な画家がいらっしゃって。その絵が独特で、興味を惹かれたんです。理不尽や不平等にさらされながら、生き抜く瞽女さんの姿を描いてみたいと思いました」
亡き母への愛憎を描いた「泣く猫」も秀逸。自分を捨てて男に走り、奔放に生きてきた母が亡くなった。母のアパートで弔問客を待つ真紀の前に現れたのは、母と同じ店で働いていたサオリ、そして一匹の猫だった。
「私の母が亡くなった時のエピソードを取り入れています。入院先から自宅に運ばれてきた亡き母とひと晩過ごしていると、当時飼っていた猫が部屋に入ってきたんですね。棺は床に置かれていたのですが、湿気が溜まるのを避けるためでしょうか、ちょっと下を空けてあって。で、猫が棺と床の隙間にスッと入って泣くんです。“鳴く”ではなくて、聞いたこともないような悲痛な声で“泣く”わけです。あまりにもつらい声だったので、猫を連れて部屋の外に出たのですが、その時に思いましたね。『あ、母が亡くなったことがわかっているんだな』って」
かと思えば、本誌の『おそ松さん』特集に書き下ろしたスラップスティックコメディ「黙れおそ松」のような異色作も。
「『柚月裕子、こんなの書いてたんだ』って感じでしょうか(笑)。『おそ松さん』、大好きなので、楽しみながら書きました。でも、好きなものを言うと驚かれるんですよね。好きなタレントはエガちゃん(江頭2:50)だし、初恋はブルース・リーと渡瀬恒彦なんですけど。え、そんなにギャップ、ありますか?」
「黙れおそ松」は例外とはいえ、どの短編にも共通するのは人の心の機微を描いていること。
「デビュー当時から変わらず関心を持っているのは、人の気持ち。人が何を考えているのか。重荷を背負っているならその理由は何か。気持ちが病んでいるなら、どうしてそこに行きついてしまったのか。どうすれば払拭できるのか。そこに興味があるのだと思います」
「佐方」シリーズの名脇役が、まさかの初主演
11編の中で、もっとも新しいのが今年『野性時代』に書き下ろした「ヒーロー」だ。この短編は、『検事の本懐』をはじめとする「佐方貞人」シリーズのスピンオフ。検事の佐方をサポートする、検察事務官・増田が主役を務めている。
「このシリーズではさまざまな刑事事件を扱っていますが、増田視点にすれば事件から離れたところで物語を動かせるかなと思いました。それに私、増田というキャラクターが思いのほか好きだったんですね。それほど意識していなかったけれど、気づいたら『あ、彼のこと好きかも』ってこと、あるじゃないですか(笑)。佐方がホームズだとしたら、増田はぽわんとしたワトソン。とにかく平和なんですよね。そもそも私は、牧歌的なキャラクターを書く機会が少なくて。『孤狼の血』の日岡、『盤上の向日葵』の上条桂介のように、そばにいたら嫌な人物ばかり書いてきましたから(笑)。長編で書きたいのはそういう人物ですが、そればかり書いていると平和な人も書きたくなります。書いてみて『やっぱり私、増田君のこと好きだったんだ』と思いました」
高校時代の恩師の訃報を知り、告別式に列席した増田は、かつての親友・伊達と再会する。柔道部の同期だった伊達は、増田にとってヒーローのような存在。柔道を辞めようとした増田を叱咤激励し、引き留めてくれたという思い出もある。高校卒業後、柔道の強豪大学に進学した彼とは疎遠になったものの、増田にとって伊達が特別な存在であることには変わりない。だが、伊達と旧交を温めるうち、増田はある違和感を抱く。伊達に何があったのか。空白の10年間がひもとかれると同時に、増田の口から熱い言葉があふれだす。〈自分に自信があるやつなんていないよ。(中略)でも時々、自分も捨てたもんじゃないって思うときがある。そして、またがんばる。その繰り返しだよ〉
人生のままならなさを描きつつ、気持ちを奮い立たせてくれる一編だ。
「どの作品もそうですが、視点人物の主張は私自身が普段感じていることが多いんですよね。みんながみんな希望どおりに生きられるわけではないし、結果を出せるわけでもない。でも、その結果に行きつこうと半歩でも踏み出そうとする姿に、私は尊さを感じます。諦めたり投げ出したりせず、とりあえず今日を過ごそうとする姿を描きたいと思いました」
断面をどう美しく見せるか 短編は切り口が重要
長編は言わずもがなだが、短編でもその力量を遺憾なく発揮する柚月さん。長編と短編で、どのように書きぶりを変えているのだろうか。
「長編の場合、その長さに持ちこたえられるテーマを考えますが、短編のテーマは長編よりもちょっと柔らかくていいのかな、と。一方、ショートショートはアイデア一発。長編が丸ごとのみかんだとしたら、短編はその断面をどう美しく切り取って見せるか。要は切り口ですよね。そして、ショートショートは、甘皮の中の一粒をどう際立たせるかを考えて書いています。ただ、やっぱり短編は難しいですね。何を書いて何を削るか、短くなるほど気を遣います。1行の重みは、長編よりもさらに増すような気がします」
今回の短編集は、13年の作家生活を振り返ることにもつながった。
「私は普段、自分の作品を読み返すことはありません。常に今書いているもの、これから書くものに向き合うことしかできないので。ライオンやチーターに追われていて、立ち止まったらやられる、みたいな毎日を過ごしているんですね(笑)。でも、今回のオムニバス短編集を通して、デビューからの歳月をリアルに感じることができました。この一冊は、私の記録。最近の私しかご存じない読者の方にとっても、『柚月裕子らしいな』という短編から『え、こういうのも書くの?』というショートショートまで、いろいろなテイストを楽しんでいただける一冊になりました。子どもの頃、大事なものを缶の中にコチャコチャッと入れませんでしたか? 色とりどりの宝物が入っていて、開けるとなんだかうれしい缶。そんな感じで楽しんでいただけたらと思います」
柚月裕子
ゆづき・ゆうこ●1968年、岩手県生まれ。2008年、『臨床真理』で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、デビュー。13年、『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞受賞。16年、『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞受賞。他の著書に『盤上の向日葵』『ミカエルの鼓動』など。