日本語でロックは実現できるのか?/ みの『戦いの音楽史』

音楽

公開日:2022/4/20

みの

 1960年代、アメリカ合衆国を席巻したビートルズをはじめとするブリティッシュ・インヴェイジョンの音楽は、日本にも到達します。その影響を受けてバンド形態での音楽が流行りますが、日本のレコード業界特有の“歌謡秩序”にのみ込まれていきました。引き続きロックに目覚めた若者たちが自作自演を模索するなか、「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」という日本語ロック紛争が勃発します。

ビートルズが日本に与えた影響

 1966年にビートルズが来日します。

 当時は超弩級の人気アーティストを迎えるコンサート会場もなく、日本武道館が候補となります。前例がなかったこともあり、「不良の音楽を神聖な場所で行うとは、けしからん」と、一部から反発もありました。しかし、結果としてビートルズがコンサートをしたことで、日本武道館は「日本で最も知名度があるコンサート会場」というブランドを獲得しました。ちなみに、このときの前座を務めたのがドリフターズです。

 ブリティッシュ・インヴェイジョンの音楽が一気にやってきて、日本では若者を中心に「グループ・サウンズ(GS)」というバンド形態での音楽が流行します。

 代表的なグループに、スパイダース、タイガース、テンプターズ、カーナビーツ、ジャッキー吉川とブルー・コメッツなどが挙げられます。沢田研二を擁するタイガースと、萩原健一を擁するテンプターズは、ビートルズとローリング・ストーンズのようなライバル関係にあり、特に注目を集めました。

“歌謡秩序”から抜け出せない日本

 GSは1967年から69年にかけて、女子高生がコンサート会場で失神して社会問題になるなど、熱狂的な人気となります。ですが、旧来の“歌謡秩序”を打ち破ることはできませんでした。イギリスでビートルズが推し進めたような、自ら作詞作曲を行うスタイルを日本の音楽業界ではまだ実現できなかったのです。

 ライブハウスやクラブなどでは、海外のカバー曲を中心に自作曲も織り混ぜて演奏していました。しかし、いざレコードでシングル曲を出すとなると、レコード会社の意向に沿って、作曲家や作詞家の書いた曲を演奏せざるを得なかったのです。ビジネス的なコントロール下で、「今回はコンペで良かったこの曲にしましょう」「去年ヒット曲を出したこの作曲家に依頼しましょう」といったような“会議室で決まった音楽”でレコードを出します。そしてロカビリーと同じように歌謡の世界に取り込まれるのです。

 「ライブではシングル曲はやりません」と、硬派な姿勢を見せるバンドもありました。しかし、カバー曲の演奏が主流だったことからも、自主性の獲得には至りませんでした。

 アーティストが主導権をもって曲を作るという点では、この頃の日本のロックはまだ黎明期といえます。ただし、のちにロックがメインストリームとして日本に根づく下地を作ったという点では、グループ・サウンズの影響は非常に大きいものでした。

社会の不満をフォークにぶつけろ

 グループ・サウンズの後、「ニューロック」というムーヴメントが出現します。自分たちで楽曲を制作し演奏すること、ロックを奏(や)る際に歌詞は日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかといった、これまで解決されなかった問題に挑むのです。

 加藤和彦が率いるフォーク・クルセダーズは、ニューロックの走りです。1967年に発表した「帰って来たヨッパライ」はオリコンのチャート1位を獲得し、空前のヒットとなりました。一説によると、日本のポップス史上初のミリオンセラーとなります。歌謡曲にまったく迎合しない音楽性でヒットとなった、画期的な楽曲でもあります。

 1960年代後半に活動した、早川義夫が率いるジャックスもニューロックのバンドの一つ。1968年に発表したアルバム『ジャックスの世界』で作詞、作曲のほとんどを自分たちで手がけます。大きなセールスには結びつきませんでしたが、内面世界を描いた前衛的な作品で、それまでの日本のポップスには考えられなかったアルバムでした。

 並行して、学生たちのあいだではフォークが人気を博します。

 1960年代末というと、全国で盛んになった学生運動や、1970年の日米安全保障条約(安保条約)の更新に反対する「安保闘争」など、若者たちによる過激な活動が展開されます。こうした社会運動に参加していた学生たちにとって、ポップス(歌謡曲)であるGSは自分たちの気持ちを代弁していないと退けて、もっぱらフォークを聴いていました。

 海外に目を向けると、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル(CCR)らがベトナム戦争反対を訴えた音楽で人気を得ている。一方の日本は、そうした音楽はメインストリームに切り込んでいけない。こうしたズレに不満をもつ若者たちに、メッセージ性の強い社会派のフォークが受け入れられたのです。ただし、社会派フォークは日本語で自作自演をしましたが、当時は商業的な成功には至っていません。

「日本語ロック論争」勃発

 そして、正統派ロックのメロディには、日本語を乗せることはできない──とする立場が登場します。“海外での成功”という大きな志をもった、内田裕也がプロデュースするフラワー・トラベリン・バンドです。

 彼らは英語詞を選択し、東洋的な旋律を用いて独自の音楽性を確立します。アトランティック・レコードと契約して、カナダで一定の成功を収め、現在でもカルト的な人気をもっています。

 同時期に活動した、竹田和夫を中心に結成されたクリエイションも海外志向の強いバンド。クリームをプロデュースした、フェリックス・パパラルディとレコーディングを行い、アルバムを発表しています。

 一方で、ロックも自分たちの言語でやらなければ意味がない、というグループもいました。前身バンドのエイプリル・フールで英語詞を試み“挫折経験”を得た細野晴臣らが結成する、はっぴいえんどです。彼らは、メンバーの松本隆の詞をもって日本語のロックを追求します。

 外国から入ってきたロックを日本人はどのように受容するのか、という問題が当時は重要なトピックだったわけです。そこで、内田裕也、大瀧詠一、松本隆らによる「ロックに日本語は合うのか」という論争が、音楽雑誌『ニューミュージック・マガジン』の誌上で起こります。

 音楽の作り手側にも日本語でロックを作れるのか、という不確かな感覚が漂うなか、はっぴいえんどが1971年に『風街ろまん』を発表します。このアルバムがロックを日本語で表現し、成果を収めたところで、「日本語ロック論争」はひとつの決着を見ることとなります。

 ですが、日本語ロック論争にもさまざまな賛否があり、すでに1960年代でグループ・サウンズが日本語でロックを達成していたともいえます。とはいえ、「日本語とロックを結納させる」と細野が言ったように、自覚的に日本語とロックの問題に取り組んだという点において、はっぴいえんどは新しかったといえます。そして、現在のJ-POPのアーティストの自作自演のスタイルをかたち作りました。

 『風街ろまん』は完成度の高いアルバムですが、最初から商業的に成功したわけではなく、のちに評価された作品です。この背景には、はっぴいえんど以降、細野晴臣はティン・パン・アレーやYMOで活躍し、松本隆は作詞家としてヒット曲を量産、大瀧詠一はアメリカン・ポップスを独自に解釈した音楽を発表、鈴木茂はアレンジャーやセッションミュージシャンとして数多くの名演奏を残します。メンバーそれぞれの活躍によって『風街ろまん』が脚光を浴び始めたという事実があります。

 『風街ろまん』のヒットを受け、日本のロック史では、はっぴいえんどを中心に置く“はっぴいえんど中心史観”という見方が生まれます。以降の30年ぐらいはこの観点に基づいて日本のポップスは考えられてきました。

日本語ロックの定着

 続いて、矢沢永吉が率いるキャロルが、1973年に発表したヒット曲「ファンキー・モンキー・ベイビー」で、日本語詞と英語詞の“ちゃんぽん”を成立させます。今であれば英語と日本語を織り交ぜた歌詞は当然のように存在していますが、はっぴいえんどの『風街ろまん』による「日本語でロックは成立する」という成功体験によって、キャロルは型を崩すことができたといえます。これによって日本語ロック論争は一世代前のもの、過去のものになります。

 はっぴいえんどが母体となったバンド、キャラメル・ママがバックを務めた荒井由実(松任谷由実)。ティン・パン・アレーがプロデュースした吉田美奈子や矢野顕子、大貫妙子。大瀧詠一が設立した「ナイアガラ・レーベル」から出た山下達郎率いるシュガーベイブなど、後のJ-POPのメインストリームの土台となる人たちが活躍し始めます。そして、自作自演を基本とした彼らの音楽は、「ニューミュージック」と称されるようになります。

 井上陽水は、1973年に発表されたアルバム『氷の世界』が日本レコード史上初のLPのミリオンセラーになるなど、商業的な成功を収めるアーティストも増えていきます。そうすると、次第に歌謡曲とニューミュージックの境界もあいまいになり、吉田拓郎が演歌歌手の森進一に1974年発表の「襟裳岬」を提供するといった動きも生まれました。

 “歌謡秩序”が新興の音楽を飲み込む構図は、やはりここでも発生します。

(第10回につづく)

1990年シアトル生まれ、千葉育ち。2019年にYouTubeチャンネル「みのミュージック」を開設(チャンネル登録者数34万人超)。また、ロックバンド「ミノタウロス」としても活躍。そして2021年12月みのの新しい取り組み日本民俗音楽収集シリーズの音源ダウンロードカードとステッカーをセットで発売中!