「シリーズ10周年、原点に戻って安楽椅子探偵ものに挑戦」──「珈琲店タレーランの事件簿」岡崎琢磨インタビュー
公開日:2022/4/9
京都の裏路地にひっそりたたずむ珈琲店「タレーラン」。扉の向こうで待ち受けるのは、バリスタ・切間美星の笑顔。持ち前の推理力を生かし、彼女はさまざまな謎を解き明かす──。
「珈琲店タレーランの事件簿」は、『このミステリーがすごい!』大賞から生まれた人気シリーズ。美星の見事な推理、常連客アオヤマとの恋模様が読者の心をつかみ、累計発行部数235万部を誇る大ヒットとなっている。6巻ではふたりの仲が一歩進んだものの、最新作『珈琲店タレーランの事件簿7 悲しみの底に角砂糖を沈めて』(岡崎琢磨/宝島社)では、アオヤマ君はほぼ登場しない短編集に。タレーランの客が謎を持ち込み、美星が鮮やかに解いてみせる、安楽椅子探偵ものの直球ミステリーになっている。
なぜ、ここへ来て方向転換を図ったのか。収録された短編の共通点とは。そして、10周年を迎えた同シリーズの今後とは。著者の岡崎琢磨さんに話をうかがった。
取材・文=野本由起 写真:Atsuko Tanaka
キャラクターの要素を排し、ミステリーに真っ向から挑んだ意欲作
──このたび、2年4ヵ月ぶりに「珈琲店タレーランの事件簿」シリーズの新刊が発売されました。6巻から趣向を変えて、日常の謎を安楽椅子探偵役の美星さんが解決するという短編集です。こういったスタイルにしたのはなぜでしょうか。
岡崎:この短編集が生まれたきっかけは、僕が観覧した「第6回全国高等学校ビブリオバトル決勝大会」で不可解な出来事に遭遇したことです。あとがきにも書いたとおり、大会出場者の発表順を決めるためにくじ引きを行ったところ、「3」と「4」のくじが2枚ずつ出てしまうというハプニングが起きたんです。そこで、この出来事を「ビブリオバトルの波乱」という短編に仕立て上げました。
そもそも「タレーラン」シリーズを書き始めた当初は、「喫茶店のお客さんが持ち込んだ謎をバリスタが解く」というスタイルを念頭に置いていました。でも、振り返ってみると、このシリーズではそういった典型的な安楽椅子探偵ものに取り組んでこなかったんですね。シリーズ10周年でもありますし、この辺りで原点回帰しようと思い、今回の短編集が生まれました。
──「タレーラン」シリーズは、キャラクター小説としても人気の高い作品です。とはいえ、7巻ではシリーズの主人公・アオヤマ君がほぼ登場せず、謎解きに特化した短編集になりました。この内容はエキサイティングかつ新鮮でしたが、ふたりの恋愛がどうなったのか続きを気にするファンも多かったのではないかと思います。
岡崎:確かにおっしゃるとおりで、シリーズ読者はこういう作品を喜ばないだろうと覚悟していました。それでも、この10年でいろいろな作品を書き、今一度「タレーラン」に戻ってくるにあたり、僕のミステリー作家としての力量を改めて確認しておきたいと思ったんです。しかも、今回の場合はキャラクター小説としての要素を増やすと、ミステリーの邪魔になります。ミステリーが必要とするものだけで書き上げた結果、こういう形になりました。シリーズ読者からは、予想通りキャラクターものを期待する声も多かったですが。
──とはいえ、短編4本、掌編3本、いずれもミステリーとして完成度の高い作品に仕上がっています。それぞれの短編が生まれた背景について、お聞かせいただけますか。まずは「ビブリオバトルの波乱」からお願いします。
岡崎:先ほども申し上げたように、ビブリオバトル大会で起きた出来事を題材にしました。真相を暴こうという気持ちは全くなく、完全なる創作です。ただ、面白い展開、意外性のある真相を思いつかないと、ミステリーとして成立しないので、そこにはかなり腐心しました。大変ではありましたが、書いている時はすごく楽しかったですね。
──会場で起きたハプニングは事実ですから、変えるわけにいきません。そこに整合性のある理由をつけ、なおかつ面白い真相を導き出すというのは、相当ハードルが高いことだったのでは?
岡崎:自分でも「よくあれだけのことから、ここまでつなげたな」と思いました(笑)。「3」と「4」のくじが2枚ずつ入っているのが、本当に理解できなくて。なぜそんな状況になったのか、うまいこと調理できたなと思います。
──実際の真相は、いまだにわからないんですよね?
岡崎:わからないです。もし知っていたら、書けなかったと思います(笑)。普通に考えたら、「スタッフの何かしらの手違い」で終わる話じゃないですか。でも、それではミステリーにはなりませんし、謎を解く動機も生まれません。日常の謎は、殺人事件と違って解決される必然性やドラマに乏しいんですよね。この短編でも、ハプニングが起きたせいで生徒がプレゼンに失敗し、スタッフが謝りに行くという外枠を作らなければ小説として成立しなかったと思います。この短編に限らず、なぜ謎を解く必要があるのか、なぜ美星さんが謎解きに介入するのかという点には、こまやかに配慮しました。
社会的なテーマを入れやすい、“日常の謎”の懐深さ
──「ビブリオバトルの波乱」から掌編を挟み、2作目に続いていきます。ふたつ目の短編「ハネムーンの悲劇」は出色の出来ですね。
岡崎:「ビブリオバトルの波乱」を書いたところで、担当編集者と「今回は実話をもとにした短編集にしましょうか」という話になったんです。「ハネムーンの悲劇」は、10年くらい前に友人から聞いた話がベースになっています。と言っても、どこまでが事実かわからないし、誰から聞いたかすら曖昧で(笑)。ただ、新婚旅行に出かける方が事故に遭い、目が覚めたら「これから旅行に出かけるんじゃなくて、帰ってきたところだ」と主張して、ロッカーには確かにお土産が入っていたという話を聞いたことがあったんですね。それがずっと気にかかっていたので、今回書いてみようと思いました。
──ミステリーとしての面白さはもちろん、物語としての読みごたえを兼ね備えた作品ですよね。岡崎さんの持ち味が、遺憾なく発揮された短編だと思いました。
岡崎:7巻の中で一番の力作というか、野球でいうところの4番バッターだと思っています。シリーズのテーマである珈琲も、ちゃんと謎に絡んでいますしね。
──お土産の珈琲をめぐる謎を解くにあたって、超自然的な話を取り入れたり、オカルト雑誌の女性編集長のエピソードを織り交ぜたり、重層的な作品になっていますね。
岡崎:ありがとうございます。執筆にあたってオカルト系Webサイト『TOCANA』の編集長・角由紀子さんに取材し、オカルト面の知識をカバーしていただきました。しかも、角さんのお話は、この短編に登場するオカルト雑誌編集長の人物像にも影響を与えています。作中の編集長と角さんの属性や環境はもちろん違うのですが、お話をうかがっているうちに「あ、こういう人だったら、こういう人生を選ぶ可能性はあるな」と思って。そこで、同じ道を歩もうとしている女性には「その生き方は楽ではないよ」と伝えるような人物像になっていきました。最近僕が関心を寄せているテーマにも近接していたので、書けるだけのことは書こうと思いましたね。
──岡崎さんが関心を寄せているテーマとは?
岡崎:ひとつは、ジェンダーの問題ですね。この時代にジェンダーを考えようとすると、編集長のような生き方の話題は避けて通れません。日本は欧米に比べて旧来の家族観が強く、子育ての多様性に対する理解がまだまだだと思っていて。この作品でも、そういった生き方を示し、理解を広げたいと思いました。
──前作『Butterfly World 最後の六日間』(双葉社)でもルッキズムやいじめを扱うなど、最近の岡崎さんの作品では社会的なテーマを織り交ぜることが多いようです。
岡崎:僕に限らず、最近は社会全般でさまざまな思想やポリコレについて活発に議論されるようになりましたよね。娯楽にもそういった要素が不可欠だとは思わないのですが、自分の書きたいことを掘り下げていくと、どうしてもそういった現代的な話題が浮上してくるんです。気がついたら、そのテーマが自然とそこにあるような感じなんですよね。触れる以上は、その都度真摯に書いてきました。
もともと日常の謎は、ドラマ性がないと成立しにくいジャンルなので、社会的なテーマを持ち込みやすいのかもしれません。殺人事件のようにひっ迫した状況ではないため、まだ社会的な問題に目を配る余裕がある。そこで、自然とそういったテーマが溶け込んでくるのだと思います。
──続いて、3つめの短編「ママとかくれんぼ」が生まれた経緯についてお聞かせください。
岡崎:これは、4つの短編の中で最後に書いた作品です。実話ベースで書くとなった時に、3話までは比較的スムーズにネタが決まったのですが、最後の1話がどうしても決まらなくて。そこで友人にネタの提供をお願いしたところ、「公園でものすごく長い時間遊んだと思ったのに、実際は5分ぐらいしか経っていなかったことがある」と冗談半分で言われたんです。それは使えると思い、この短編のネタにしました。
──この短編の主人公は、幼い頃に両親が離婚し、父親と暮らす20歳の女性です。そんな中、母親が病気になり、余命短いことを知らされます。幼少期に母親に連れていかれた公園での出来事が明かされるとともに、母親が彼女にどんな感情を抱いていたかも語られます。かなりシビアな話だと思いましたが、いかがでしょう。
岡崎:ネットでも「救いのない真相」という感想を読みましたが、僕としてはそうは思わないんですよね。彼女にとっては確かに残酷な真相ですが、僕はある種の救いだと思います。母親への幻想から解き放たれるきっかけになったわけですから。
確かに、穏やかな真相のほうが僕の作風に合っているかもしれませんが、それを裏切ってこそのミステリーです。公園での出来事も重要な謎ですが、この短編の本当の謎は母親が自分を愛してくれていたかどうか。心なんて、普通は測れませんよね。それをミステリーによって導き出すというのが、この短編のポイントかなと思います。
──主人公の人物像も、今までの岡崎さんの作品とはひと味違いますね。
岡崎:今までの作品の焼き直しにはしたくないので、何か新しいことをしようと思った結果、視点人物がギャルになりました(笑)。作家が異性を書こうとすると、偶像化しがちですよね。例えば男性作家なら、すごくピュアな女の子、逆にすごくサディスティックな女の子を書きがちですし、女性作家なら鈍感な男子を書くことが多いように思います。でも、読む側からすると違和感があるので、僕が女性を書く時はできるだけリアリティを出したいなと思っていて。この作品では、「こういう人いるよね」と思うような女性を描きました。正直、めっちゃ楽しかったです(笑)。
──そして、最後に収録されたのが「ブルボンポワントゥの奇跡」です。こちらは「ハネムーンの悲劇」と対を成すような構成ですね。
岡崎:別れてから長い月日が経った元恋人から、間違い電話がかかってきたという部分だけが実話です。「ハネムーンの悲劇」の夫婦が悲しい目に遭ってしまったので、彼らのアナザーストーリーを書いてあげたいなと思ったんですね。この本をひとつにまとめる短編になりました。
8巻でも予定調和を壊し、油断も隙もないところを示したい
──短編のほかに、掌編も3編収録されています。特に印象深い作品をお聞かせください。
岡崎:「歌声は響かない」でしょうか。6巻を発売した時にWebで発表した掌編ですが、ゲラを読み返した時に面白いなと思ったんですね。美星さんの高校時代を描いた異質な作品で、前半の謎解きの強引さをラストのひと言で回収しているあたり、よくできているなと。自分でも言うのもなんですけど(笑)。
──シリーズのファンとしては、美星さんの高校時代を知る楽しさもありました。
岡崎:みなさん忘れているかもしれませんが、1巻の前にある出来事を経験する前は、美星さんって天真爛漫な人だったんですよね。その辺りも描けてよかったなと思います。
──今回の短編集では、美星さんの優しさと厳しさが垣間見え、人間的な成長も感じました。
岡崎:そうなんです。僕も「美星さん、大人になったな」と強く感じたんですよね。1巻から4年くらい経っている設定ですが、その中で美星さんもいろいろな経験を重ねています。その分、美星さんのかわいげがなくなってきているような気もしますが(笑)。でも、1巻では23歳だった美星さんも27歳ですから、だんだん落ち着いてくるのが当たり前。「これがシリーズものってことなんだな」と思っています。
──成長ストーリーを書こうというよりは、シリーズを続けていくうちに自然な形で成長していったのでしょうか。
岡崎:そうですね。それは、僕自身の成長とも重なるところがあるのかなと思います。年を重ねれば、考え方も変わりますし、若い人を見るまなざしも変わっていきます。美星さんも現代を生きる女性として、成長しているんでしょうね。
──「ブルボンポワントゥの奇跡」では、葵という登場人物が「十年ものあいだ、同じ場所にい続けることはできませんから」と言います。そのセリフに、岡崎さんご自身の作家人生が重なりましたが、いかがでしょうか。
岡崎:そうですね。この10年が端的に表れたセリフだと思います。僕が作家を続けてきた10年への思いでもありますし、世の中もこの10年で大きく変わりましたよね。いつまでも同じ場所に囚われてしまう人もいますが、それでもみんなそこから歩みを進めている。同じ場所にとどまることはできないというのはひとつの真理なので、それを作中の人物に語らせました。
──岡崎さんは、この10年のご自身の活動をどう捉えていますか?
岡崎:右往左往していたら10年経っていました(笑)。まあ、でも楽しい10年でしたね。この10年は本当に刺激が多くて、反省はあっても後悔はほとんどありません。その時々で納得のできるものを書いてきたという自負もありますし、先ほどお話ししたように、社会的なテーマを作品に取り入れるようになるなど、変化や成長も感じています。
その一方で、これからの10年はもう少し違った書き方をしてもいいのかなと思っています。これまでの10年を、11年目からもう一度繰り返す人生は果たして幸せなのだろうかと思って。クリエイターとしては苦しくても、人間としては幸せな10年を歩まなきゃいけないなと最近よく考えるんです。僕もただただ苦しい思いをしながら書くためだけに、生まれてきたわけではないので。
──となると、今後はどういった書き方になるのでしょう。
岡崎:評価や売り上げといった指標に、自分の人生のすべてを委ねないということでしょうか。自分の“外”ではなく“中”に指標を持つようにしたいですね。
──「タレーラン」シリーズは、今後も続けていくのでしょうか。
岡崎:続けるつもりですが、どこまで書いていくのか自分でもわかっていません。待っていてくださる読者がいるのであれば書きたい気持ちもありますし、でも10年ってやっぱり長いよなという思いもあって。まだ何も決めていませんが、今後どうしようか最近よく考えています。
──例えば「10巻までは続けよう」といった目標はあるのでしょうか。
岡崎:何も考えていないですね。確かに「10冊で終わらせるとキリがいいかな」とは思いますが。6巻でアオヤマ君がようやく正式に告白したので、シリーズを続けたとしてもそこまで長くはならないかなと思っています。とはいえ、それこそ美星さんの高校時代を書くなど、違う形式で続けることもできますからね。
──と言いつつ、8月には8巻を刊行する予定だそうです。こちらはどんな作品でしょうか。
岡崎:珈琲のイベントを描いた、本格ミステリー寄りの長編にする予定です。傾向としては、3巻に近いですね。8巻では、メインキャラクターはちゃんと登場します。ただ、6巻までに主要人物の過去を描ききってしまったので、そういう話にはならないでしょうね。「タレーラン」シリーズは、手を変え品を変えいろいろなチャレンジをしてきたので、8巻でも油断も隙もないところを示したいと思っています。予定調和を壊したいという気持ちで取り組んでいます。
──お話をうかがっていると、予定調和を壊していく、これまでのパターンを崩していくなど、何らかの課題をご自身に課したうえで執筆することが多いようですね。
岡崎:そうですね。縛りプレイというんでしょうか(笑)。作家を続けていると、どうしても手癖で書けてしまう部分があって。特に短編はそうですね。それが悪いわけではありませんが、ひとりの人間が思い浮かべるアイデアには限界があるので、どうしても似たような作品になってしまいます。新しい作品を生み出すには、ある種の縛りが必要になる場合もあるのかな、というのが僕の考えです。
──岡崎さんは、短編も長編も書かれる作家です。短編と長編の書き方の違い、それぞれの持ち味についてお聞かせください。
岡崎:僕が考える短編の魅力は、造形美です。短編というさほど大きくはない器に、必要な要素を綺麗に無駄なく収めていく。その美しさが好きなんです。一方長編は、大きな器にすべての要素を配置するだけでは面白くなりません。そこから浮かび上がるテーマ性、うねりのようなものが必要になってくると思っています。短編はすべて見える範囲で作れるのですが、長編は自分ですら予想していなかった展開が必ず生まれてくる。いわば、生き物と付き合っているような感じですね。
──生き物のようだというのは面白いですね。
岡崎:長編は、作者の想像を超えていきますから。僕らが日常を過ごしていても、世の中の動きやプライベートな出来事が想像の範囲に収まることってありませんよね。現実が想像を超えるのが当たり前なのだから、ひとりの想像の範囲に収まる物語なんて面白くありません。だからこそ、小説も想像を超えていかなければならないのだと思います。
でも、想像で想像を超えていくなんて矛盾していますし、意図的にできることではありません。想像を超えるものを書くには、生き物としての長編の力を信じるしかないのかなと思います。僕は、人間の力を超えて小説の神様みたいなものが微笑んでくれる瞬間があると信じています。今後も、短編と長編を両輪として、どちらも大事にしていきたいと思います。