セルフケアが「圧」になっては意味がない! 話題沸騰の男性美容マンガ『僕はメイクしてみることにした』糸井のぞインタビュー

マンガ

公開日:2022/4/12

僕はメイクしてみることにした
『僕はメイクしてみることにした』(糸井のぞ:著、鎌塚亮:原案/講談社)

 38歳独身の平凡なサラリーマン・一朗は、鏡に映る自分の相貌の変化に驚き、セルフケアとメイクを始めることにーー。マンガ『僕はメイクしてみることにした』(通称『僕メイク』)。コミックス発売にあたり、第1話を著者・糸井のぞさんのTwitterで公開したところ「いいね」が11万件以上、Amazonコミック(総合)部門・売れ筋ランキング1位、など大きな話題に。糸井さんに、セルフケアやメイクについて今感じていること、また本作のストーリーマンガとしての側面についても語っていただいた。

(取材・文=門倉紫麻)

この2、3年放置していた自分を「立て直したい」気持ちが出てきた

――発売直後から大きな話題になりました。ご自身でも「僕メイク発売から10日かあ…怒涛の日々でした…」とツイートされていましたね。

糸井 すごく嬉しかったです。バズるとはこういうことなのか……!と(笑)。長くマンガを描いてきたので、ありがたいことに私のマンガを読んでくださっている方はいたと思うのですが、今回は今まで届いていなかった方たちにも届いたという実感がありました。

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――「買って読んだ」「おもしろかった」というような実際に読んだ方の感想が多いと感じました。多くの方が手に取ったのはなぜだと思われますか?

糸井 私なりに考えてみたんですが……今の状況に合っていたのかなと。私がそうなんですがコロナ禍以降、「自分の扱い方」みたいなものがよくわからなくなっていた気がするんです。気軽に誰かに会ったりできないので、鏡を見る必要もあまりなくなっていて。

――確かにそうですね……。

糸井 歯医者さんで自分の歯を見るように手鏡を渡されたんですけど、強めのライトで突然、自分の顔をはっきり見て「うわっ!」と思ったんですよ。歯を見るどころじゃなかった(笑)。その時に、この2、3年自分のことを放置していたんだと思ったんですよね。もちろん、放置するのがダメとかではなく、こんな状況で自分を安定させることは本当に難しいし、どうやって生きていくかを優先するのは当然で、生きているだけで十分立派だよ!なんて思ったりします。でもなんだかモヤモヤとした気持ち、「自分を立て直したい」みたいな気持ちも出てきて……きっと私と同じように思っている方がほかにもいると思うんですよね。なので、まずは「顔を洗う」というような、できるところから始めるマンガだったのがよかったのかなあと思いました。ただ、こうして話題にしていただくことで「セルフケア」という言葉が、圧になってしまわないだろうか? と気になっていて。

――確かに、キャッチーなので、言葉として広まりやすいですね。

糸井 読んでいただければ、そういう話ではないとわかると思うんですが、「セルフケアしないとダメなんだ」と強制のように思われたら意味がないというか……自分の肌を触ってみたり、もうちょっと大事にするのもいいものなんだなあと感じたりするだけ十分だと思っているので。

僕はメイクしてみることにした p38
©糸井のぞ・鎌塚亮/講談社

――「あとがき」で、原案の鎌塚亮さんの「自分を愛さなくても自分をケアしていいと思うんですよね…」という言葉を聞いたことで「同じ方向を見て描けたんじゃないか」とおっしゃっていましたね。どうしてそう思われたのでしょう。

糸井 うまく話せるかわからないんですが……私はひとことで言うとネガティブな人間なんですね。前向きなメッセージを素直に受け入れないような、ひねくれ者で。「自分を愛そう」というメッセージを聞いても、「『愛す』の定義とは……」みたいなことをまず考えるタイプです(笑)。自分を好きな時もありますけど、「自分ってほんとダメだな」とがっかりする時も結構あるんですよ。だから今回も私に描けるんだろうか?という不安が大きかったんです。でも鎌塚さんにお会いしたら、「自分を愛さなくても自分をケアしていいと思うんですよね…」と言ってくださって。そういうケアなら私にもできるかも、と思いました。

――描いてみて、「自分を愛する」ことへの変化はありましたか?

糸井 愛するようになったというより、「今のままでいいんだな」と受け入れる気持ちが強くなりましたね。先ほども言った「生きているだけで立派!」の方が私はメッセ―ジとして好きなので、それをさらに認めてもらえたような気分です。

他人からも自分からも強制されないことを選ぶ人がいいなと

――ドラッグストアで偶然出会い、一朗のスキンケアやメイクの師匠になってくれる女性・タマちゃんが、コスメ好きな「オタク」のように描かれているのもいいですよね。彼女はものすごく好きだからやっているわけで、みんながみんなこうではない、とわかる。一朗がベースメイクで挫折して「正直ここまでしなくていいかなって」と言った時に、タマちゃんが「それですよ!」というシーンが印象的です。

僕はメイクしてみることにした p67

糸井 あのあたりのセリフは、だいぶ迷いました。何かにハマった時、教えてくれる人がいると、その人の望んだ通りにやれなかったと時に引け目を感じたりするじゃないですか。「好きだけど、ここまではできない」と相手に伝えるのは難しい。でもそれを素直に伝えられたらいいなと思ったし、タマちゃんも受け入れてあげてほしいと思ったんですよね。私が受け入れてほしいので(笑)。

――メイクが楽しい人はタマちゃんのように突き詰めればいいし、一朗のように自分の肌を知るところから始めて口紅を試すまでいく人がいてもいい……ノーメイクの女性も登場します。一朗の同僚・真栄田さんは、最初の職場で「ノーメイク禁止」と言われ、絶対したくないわけではないけれど強制されたことを負担に思っていました。

糸井 私や私の周りにいる人と一番近いのが真栄田さんです(笑)。どちらかというとメイクしない方を選ぶけれど、場所に合わせてしたい時にはする。他人からも自分からも強制されないことを選んでいる人がいいなあと。

僕はメイクしてみることにした p138

――「自分からも」強制されない、ですか。

糸井 はい。先ほどの「教えてもらったからやらなきゃ」もそうだと思うんですが、自分で強制することもある。薬を毎日飲むとか命に関わるようなことは自分で強制しないといけないですが、美容はそうではないと思っているので。在宅で仕事をするようになった今、私がメイクをするのは、主に力がほしい時なんです。タマちゃんのようにメイクに力をもらったことが私にもあって。真栄田さんだけでなく、キャラクター全員に、少しずつ自分を入れていますね。

限界が来る前に周りに助けを求めることも、セルフケアと同じぐらい大事

――原案は「メンズメイク入門」というエッセイですが、『僕はメイクしてみることにした』は糸井さんオリジナルのストーリーマンガです。エッセイから取り入れる部分はどうピックアップされましたか?

糸井 読んでいて「いいな」と思った部分を入れたいという気持ちで描いていました。そのまま描くというより、そこにある空気というか、読んだ後の気持ちが似ているといいなあと。編集さんから最初にお聞きしたのは「38歳のサラリーマンがメイクを始める話を作りたい」ということだったんですよ。なので「自分が描くならこう描きたい」みたいなものを漠然と思い浮かべていて。その後に編集さんと話し合いながら「第1話はこれ、第2話はこれを描こう」とパーツを出し合っていきました。

――ご自分の中に描きたいものが元々おありだったんですね。

糸井 すごく明確にあったわけではないのですが、今まで実際に自分が体験してきた中で思っていたことを、このテーマでなら描けるのかも……と思った感じです。

――ハウツー的な良さがあるのはもちろんですが、ストーリーマンガとしてもとても面白かったです。

糸井 ありがとうございます。最終的に「男性同士が助け合う」ストーリーにしたいと思っていました。

――一朗と、友人の弁護士・長谷部との関係を描いたくだりは、ハラハラしながら読みました。スキンケアを「デキる男の嗜み」と捉えている長谷部が、メイクを楽しみ始めた一朗を傷つける発言をして仲違いするところから、ストーリーが大きく動きます。

糸井 明確に「最後はこうしたい」と思って描いたのは、初めてに近いですね。青春もののマンガで、友達同士が楽しそうに何かをする場面がよくあると思うのですが、今回は「2人でメイクし合う」という絵が浮かんで……そこを描きたい!と思いました。

僕はメイクしてみることにした p183

――一朗はすごい人ですね。自分にあんなにひどいことを言った長谷部に「あいつはあいつで何かあったんじゃ…」と考えて歩み寄れるのが本当にすごいです。

糸井 私だったら腹がたって友達をやめると思います(笑)。読者の方に「一朗ならできるだろう」と納得してもらえるキャラクターにしなければと思っていました。素直で、弱そうに見えて強い人だし、人を信じる力が強い。長谷部はパッと見は大人で、自分のことを自分でちゃんとやれていそうだけれど、調子が悪くなると途端にできなくなる。そういう時に横で、アドバイスするのではなくて受け止めてくれる、一朗みたいな人にいてほしいですよね。一朗には私の憧れも込めていますし、一朗のような友達に助けてもらえる長谷部の立場にもなりたいと思いました(笑)。

――原案にはない部分ですよね。コミックス収録の鎌塚さん書き下ろしコラムでは「(一朗は)『自分と他人が異なる』という現実に突き当たっても、投げ出さずに向き合う勇気を持った人」であり、「糸井のぞさんが原案を超えてセルフケアの先にある『他者をケアする』関係までを描いてくれました」と書かれていました。

糸井 鎌塚さんならこう描いてもOKしてくれるだろうなという気持ちがありました。「セルフケアには限界があります」とも書いていらしたんですが、私もそう思うんですよ。限界が来る前に周りに助けを求めることもセルフケアと同じぐらい大事なことだと描きたかったです。

みんなで仕事をするとこんなに楽しいんだ!

――長谷部からは、男の人が抱える生きづらさが伝わってきます。メンズメイクに拒否反応が出た時「『俺の』じゃない/この『社会』の常識だろ」と言っていて、彼も苦しめられているんだとわかりました。我々女性読者がそれを知れるのもありがたいです。

糸井 鎌塚さんから男性側からしか聞けない意見をたくさんいただいて、私の男性観みたいなのも変わりました。今まで、こういうものだとテンプレートに当てはめることで、楽をしていたんだと思います。

――メイク以外の面でも、一朗が男性ひとりでパフェを食べるのを恥ずかしく思ったり、美肌によい温泉は女性のものだという仕事相手の思い込みに直面したりもしていますね。

糸井 今はそんなふうに思っていない人もいっぱいいると思うんです。それなのにあえて描くことで逆に偏見を植え付けないかと心配にはなったんですが、まだ実際にあることだとは思うので、可視化してみようと。鎌塚さんが美肌の温泉じゃなくてサウナだったら「自分を痛めつける」感覚で受け入れられるのかも、とおっしゃっていて。その世界観はほかのことにも当てはまる気がしましたね。「自分を楽にするようなものは軟弱だ」という価値観がまだあるのかもしれません。鎌塚さんのコラムも含めて1冊になったものを自分で読んだら、メイクにまったく触れたことのない男性がどんな感想を持つのか、すごく聞いてみたいと思いました。

――私のように「もっと読みたい!」という感想も届いていると思うのですが……続編のご予定はあるのでしょうか?

糸井 「こういうことも描きたいね」と話に出たことがほかにもあるので、それを描きたい気持ちがあります。それに、すごく充実していたんですよね、このお仕事が。ふだんは私とマンガの編集さんと2人だけで仕事をするんですが、今回は鎌塚さんと(連載媒体の)VoCEの編集さんと5人のチームで仕事をしたら、すごく楽しかったんです。みんなで何かをするのは得意じゃないんですが(笑)、信頼できる人たちと仕事をするとこんなに楽しいんだ! と。売れなくても十分幸せな時間でしたが、本が売れたことも励みになったし、少しだけ自信が持てるようになりました。今後の作家人生であと何本マンガを描けるかわからないですが、もっと自分の描くものを信じて、強くあらねばと思うようになりました。