心を強くすれば、自分で自分の人生を切り拓くことも可能になる/心を鍛える
公開日:2022/4/20
仕事や私生活にかかわらず何かと窮屈になった現代社会、不安やストレスに悩みを抱えながら生活している方は多いのではないでしょうか。
今回ご紹介する書籍は、IT業界の盟友でもある、堀江貴文さんと藤田晋さんが自身のキャリア、生い立ち~未来のことまでを語り合う一冊です。ストレスがつきまとう現代に、大切なのは「頭の良さ」よりも「ハートの強さ」。心を鍛えるとはどういうことなのか?
『心を鍛える』で、IT業界を牽引する2人の経験から、強く生きるヒントを学んでみませんか。
※本作品は堀江貴文、藤田晋著の『心を鍛える』から一部抜粋・編集しました
生まれる環境は選べなくても、進む道は選べる
藤田 晋
幼少期を振り返り、「面白いことなど何もない」と形容した堀江さん。私自身も、出身地は違えど、彼と似たような気持ちで過ごしていたように思います。
故郷について言うと、堀江さんが温暖な福岡県八女市の出身であるのに対し、私は日本海特有の曇天が多い、福井県鯖江市の育ちです。頭上の空はいつも灰色。だから「天気に恵まれていただけ、まだいいじゃないか」と彼には言いたい(笑)。故郷の天気や気候は、私の人格形成に良くも悪くも大きな影響を与えたような気がします。
もちろん、天気のせいだけではありませんが、私も幼い頃から「居心地の悪さ」や「言いようのない不安」を抱いていました。中途半端な田舎町で、将来への希望と焦りが入り混じった、悶々とした日々を送っていたのです。
その理由は、平凡で単調な毎日にありました。
私の父親はカネボウ(当時)の鯖江工場に勤めていました。愛社精神にあふれる人で、実家はカネボウの関連商品で埋め尽くされていました。極めつけは、荒天時の行動です。ある夜、突然の雷雨になったとき。闇夜の中、父はレインコートを羽織って、勤務先の工場を「確認しなければ」と1人で駆け出していきました。
組織人としての父親を誇らしく思う反面、なぜそこまで会社に尽くすのか、その理由がわかりませんでした。
私たちは当時、カネボウの社宅に住んでいました。ご存じの通り、社宅とは全戸がほぼ同じ外観、間取りの建物です。そこに暮らす社員(父)たちは、毎朝同じ時間帯に、同じような背広姿で出勤していきます。
子どもたちも、毎朝同じ時間帯に、同じ学校に向かいます。母親たちも、同じ時間帯に洗濯物を干しにベランダに出てきます。人と自分の差を感じることさえありませんでした。
もちろん、そんな安定した暮らしも「究極の幸せ」の1つの形。しかし、「父とは違う人生を歩んでみたい」、次第にそう思うようになったのです。
同時に私は、ある願いを持つに至ります。そんな真面目一徹の父親を「もっと喜ばせたい」という願いです。実は私は小学4年のとき、鯖江市の将棋大会で代表に選ばれ、福井県の大会で優勝したことがあります。そのとき父親は大変喜び、私に「ケンイチ」という愛称を即席でつけてくれました。
「お前は、県で1位だからケンイチ君。わしは県で1位の息子のお父さんだ」
平凡な父親でしたが、将棋だけはめっぽう強く、私の幼少時から手ほどきをしてくれたのです。だからこそ、自分のことのようにうれしかったのでしょう。
これは臆測になりますが、父親はもしかすると、より〝波乱万丈の人生〟に憧れを抱いていたのかもしれません。
そういえば、父方の祖父、つまり父の父は、生前に事業を興したことがあると聞きました。しかし、うまくいかず、裕福な暮らしから一転したことがあったとか。
父親は、そんな祖父を反面教師にすることで、平凡だけれども安定した道を選ぼうとして、当時の名門企業だったカネボウに就職したのでしょう。だからこそ、私と将棋を指すことで、心を自由に遊ばせたり、〝勝負師〟としての気分を味わったりなど、「あきらめたほうの人生」を疑似体験していたのかもしれません。
東京でも大阪でもいい。もっと都会に出てみたい─。
いつしか私は、そんなふうに将来を考えるようになっていました。
小学校の卒業文集を作成する時期のこと。私は「作画になりたい」と書きました。「作家」の「家」という字を「画」と誤記していたのですが、その思いは本物でした。超訳すると、「自分でなんらかの夢を見つけ、真剣に追いかけたい」。そう願うようになっていたのです。
私たちは、生まれる場所や家、環境などを選ぶことはできません。
でも、「自分で人生を切り拓くこと」は、その気になれば可能です。ただし、心を強くすれば、です。この点について、私と堀江さんは同意見である気がします。
おかげさまで、私は年齢をここまで重ねることができました。
「自分で自分の人生を切り拓く」という意志を持つ若い人が、思う存分チャレンジできるよう精神的な支援をする。そしてネット関連の事業を通じて、挑戦しやすい社会づくりに貢献していく。
個人としても経営者としても、そうありたいと思います。