承認欲求にサヨナラしたい…。92年生まれ、人気ブロガーの8年にわたる闘いの記録『私の居場所が見つからない。』

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更新日:2022/5/2

私の居場所が見つからない。
私の居場所が見つからない。』(川代紗生/ダイヤモンド社)

 承認欲求を満たそうと奮闘してきた、いち女性の彷徨の軌跡――筆者なりに本書にサブタイトルをつけるなら、そんな風になるだろうか。承認欲求とは、文字通り、他者から評価されたい、認められたい、必要とされたい、といった欲求の総称。川代紗生氏の『私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)は、92年生まれの有名ブロガーである彼女の、8年にわたる承認欲求との闘いの記録である。

 著者は悩み多き人生を送ってきた。幼い頃から華のある女子生徒の引き立て役になることに深く落ち込んでいた。容姿に自信が持てず、これといった特技や趣味もない。そんな窮状を打破しようと一念発起して猛勉強し、早稲田大学に入学する。

 さぞかしキラキラしたキャンパスライフが待っているだろうと期待していた著者だが、周りが優秀すぎて、ますますコンプレックスを抱えることに。自分を変えたくてアメリカ留学をするが、最初は苦難の日々を送る。

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 あるいは、思い切ってガールズバーで働いてみるものの、男性からルックスに点数をつけられるような怖さに怯え、戦々恐々とするばかり。自らの性体験を告白する女子会では、経験不足から置いてけぼりを喰らってしまう。留学を契機に自分を変えたかったが、ことはそう簡単には行かない。その根底には、先述の承認欲求の問題がある。

 著者は「私の苦しみの元凶はこいつだ」と承認欲求を憎む。ただ著者は、承認欲求さえなくなればすべてうまくいく、という思考回路自体が、承認欲求の極みであることにも気づく。そして、自分がブログに文章を書いていること自体が、承認欲求を求めての結果だと知るのだった。

 これまで承認欲求という言葉を使ってきたが、彼女の抱えた病理は「自分病」でもあると思う。自分病とは、長年、深夜の街に集まる中高生をケアしてきた「夜回り先生」こと水谷修氏が使っていた言葉。周囲からの目線を過剰に意識し、他者との接点を失って自己の内面に沈潜している容態を指す。そして、著者はやがてそんな自分病から脱し、「プチ悟り」とでも呼びたい境地に達する。下記の叙述が印象的だ。

でも仕方ないんだよね。仕方ない。やめたくたって自分というのはキャンセルできない。チェンジもできない。だったらなんとかうまいこと、こいつと折り合いをつけて付き合っていいくしかない。めんどくさいけど、心の底からめんどくさいけど。

 こいつ、というのは承認欲求のことだ。人生、どんな不幸や災厄が訪れるか予測することはできない。どんな辛い状態でも、人生、ありものでなんとかやっていくしかないのだ。著者が「自分を辞めることもキャンセルもできない」と言っている通りである。連想したのは、2016年に逝去したライターの雨宮まみ氏の『女子をこじらせて』(ポット出版)。彼女もそこで同様のことを記述していた。

 筆者は、SNSが承認欲求のインフレを促したと考えている。彼ら/彼女らは幼い頃からSNSが身近にあり、加工したセルフィーや食べたものの写真をInstagramにアップしてきた。それは彼ら/彼女らのリア充アピールでもあるのだろう。「いいね」の数やアクセス数、フォロワー数などで、その人の価値が可視化されてしまう。結果、延々と他人と自分を比べることになるのだ。著者もそのひとりだろう。

 そうした環境下にいて、完全に承認欲求を払拭することは難しい。いや、一部の人にはまったくもって無理である。であれば、それはそれで受け止め、うまいこと付き合っていくしかないのではないだろうか。これは著者の現時点での心境でもある。

 本書は、ひとりの女性の成長譚としても読める。承認欲求を求めて右往左往する人たちにとっては、こういうケースもあるのかと参考になるだろう。かなり具体的なエピソードをちりばめているから、処方箋としても機能する本だと思う。

文=土佐有明