4年ぶりのアルバムが映し出す、「fhánaが見た世界」――fhána『Cipher』インタビュー

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公開日:2022/4/27

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 3rdアルバム『World Atlas』から、約4年。fhána4枚目のオリジナルアルバム『Cipher』(4月27日リリース)が完成した。音楽やエンターテインメントをめぐる環境が大きく変わっていく中、完全宅録の音源制作・独自のオンラインライブ・TVアニメ『小林さんちのメイドラゴンS』のオープニング主題歌“愛のシュプリーム!”のヒットなど、歩みを止めず進み続けてきたfhánaが見た世界がパッケージされた全17曲・収録時間75分におよぶ、大作アルバムだ。これまで数多くのアニメ作品の物語と向き合い、楽曲を紡ぎ続けてきたfhánaにとって、『Cipher』はどのようなアルバムとなったのか。メンバー全員に話を聞いた。

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長い時間をかけて作ったような感じがするけど、アルバム制作としては2ヶ月(笑)(佐藤)

――前作『World Atlas』から4年ぶりのアルバムです。その間にベストアルバムがあったとはいえ、4年って長いですよね。まずは本作の制作に向かうまでの道のりを聞きたいです。

佐藤:4年って聞くと、すごく長い時間をかけて作ったような感じがするけど、アルバム制作としては2ヶ月です(笑)。だから、考え抜いて、計画的にこうしたわけじゃなくて、ドキュメンタリーみたいなアルバムになってますね。今から思えば平和だった2019年の頃から2020年に感染症が来て、世の中の流れが不安定になり、いろいろな価値観や生活様式が変わっていく中で、直近でさらにパラダイムシフトが起こってしまうような緊迫した状況になってしまった。その時代の流れに対するfhánaとしての反応が、そのままアルバムとして記録されてる感じです。

――「時代のドキュメント」をコンセプトにした、ではなく、必然的にそうならざるを得なかった。

佐藤:そうとも言えるし、2021年の“愛のシュプリーム!”のリリース前後で「このあとアルバムを作る」と考えているときから、『World Atlas』以降、2018年から2021年までで時代がガラッと変わった転換があり、そこをまたいで作るアルバムになるから、時代の変化を記録するようなコンセプトになるだろうな、とは考えてました。fhánaがスタートしたときは、2011年の東日本大震災が影響を与えていて。そこからのフィードバックが“kotonoha breakdown”という曲につながっていたりするので、時代のインパクトや大きな事件に対して、何かしら表現によって反応を返すことは、結成当初からやっていたと思います。

――今回のアルバムは収録時間が75分に及ぶ超大作なわけですが、それぞれが感じているこのアルバムへの想いを聞かせてほしいです。

towana:情勢が変わり過ぎて、シングル曲はけっこう前の時代、みたいな気持ちです。ここ最近の、2年くらいの曲は、わたし的にはけっこう重いな、という感じです、内容が濃すぎて(笑)。“Pathos”以降の曲は聴くときにちょっと気合いが要るというか、自分的にも向き合うのに勇気が要る曲が多いです。わたしにとっては、自分の心の傷をえぐりながら作っていった記録のような感じにもなっているので、けっこう重くて。でも、聴いてる人がそう感じないんだとしたら、それがいいなって思います。あとは、自分ではどうにもならないような2年間を経て、自分の中で歌に深みが出たと思っているので、その歴史を感じてもらえるんじゃないかな、と思ってます。

――ビジュアルや歌はもちろん、自分で書いた歌詞にもそれは反映されているのでは?

towana:アルバムに合わせて書いたのは(M-2の)“Air”で、これはそんなに重くしたくないというか、曲がノリノリだから、歌詞でもずっと同じことを言っててもかまわない、みたいなイメージがありました。だから、そこまで深い意味を持たせたくないと思って書き始めたんだけれども、結局書いてみたら――自分とはなんなのか? 生きるとはなんなのか? 愛とはなんなのか? 自由とは?みたいな歌詞しか書けなくて。

――完全な創作ではなく、なにがしかはもう自分の存在が出てしまう、と。

towana:そうです。結果、そういう歌詞になりました。《愛はこの風の中》って出てくるんですけど……カフェのカップに、メッセージが書いてあったりするじゃないですか。この歌詞を書きながら悩んでいるときに、カフェのカップに「Love is in the air」って書いてあって、「いい言葉だなあ」と思ったんです。「これを詞にするとしたら?」と着想を得て、書き始めました。

――M-1の再レコーディング・歌詞をリ・クリエイトした林さんの“Cipher.”と、“Air”には、共通して《砂漠》というワードが出てきますね。

towana:それは“Cipher.”から入れました。fhána的には、キャラバンって砂漠っぽいじゃないですか。ともに砂漠を行く、ふぁなみりー(fhánaのファンのこと)とのキャラバンです。

――砂漠というのは、今のこの世界のこと?

towana:はい。

佐藤:3rdアルバムの『World Atlas』にも、《赤い砂漠》とか《砂漠》という言葉が出てくるんですね。そこは、「過酷な世界」の比喩みたいなところはあります。でもそこにオアシス的な希望のようなものがあって、そこから無限の可能性が生まれたりもするけど、基本的には大変で過酷な環境の中、キャラバンとしてみんなで身を寄せ合って旅していく、みたいなイメージです。

yuxuki:towanaが言ったように、“Pathos”とかもそうだけど、音楽を聴く上で、書いた人の人となりやパーソナルが見えて、それが乗った曲があって、最終的には書いた人から離れて、聴いた人のものになるっていう過程はやっぱりいいなと思います。その意味では、そうなり得る曲がアルバムにいろいろ入ってますね。

kevin:この4年でオンラインライブも含めていろいろやってきて、その中で自分のラップも育ったと思っていて。勘所とまで言えるかわからないですけど、こう表現するのが自分の中ではしっくり来る、みたいな部分が定まっていったんですね。「どうやってやればいいのかな?」と、ちょっとキョドっていた感じから、最近自信を持ってできるようになってきたところまでがパッケージされています。

佐藤:kevinくんは、パフォーマーとしてだいぶ覚醒してきた感はありますね。昔は音を作るのが6割・パフォーマンス4割だったのが、5:5くらいになって、今は8:2くらいでパフォーマーなんじゃないかと(笑)。

kevin:メンタル的にもそうかもしれないです。最近ね、やっと有観客でライブができたときに、「俺、こんなに人前で歌うの好きだったっけ?」って思いました。超楽しいんですよね。

――「パフォーマー・kevin」の覚醒が見られた今年1月のBillboard TOKYOでのワンマンライブは、とても印象的でした。fhánaの音楽を浴びることをこれだけ待ち望んでいる人がいるんだな、fhánaのライブを観る人はこんなに楽しそうなんだな、と感じて嬉しかったです。

kevin:それは自分もめちゃ感じましたね。久々だし、あの近さだし。大きいフェスはあまり個々を認識できないというか、一塊のお客さんに対してやってる感じがしますけど、あれだけ近いと、ひとりひとりの顔を見られるし、反応をダイレクトに感じました。

towana:楽しいはもちろんですけど、「この時間がないとわたしはやっぱりダメだなあ」と思いました。お客さんの前で歌うのが久しぶりだったから、ライブの勘みたいなものは戻り切ってなくて不安はあったんですが、ひとたびお客さんの前に出たら、みんなに会えた嬉しさを一段と実感しました。すごく心が高揚して、自分は特にそういうタイプなのかもしれないけど、そういう心の変化で歌がいかようにでもなるというか。みんなとまた会えて、ライブに帰ってこられたことは、生きていて何よりも嬉しいし、楽しい瞬間だと感じていることが、歌にもあふれていたと思います。どうなるかわからないのは怖いことだけど、この時間と場所をできる限り守っていきたいと思いました。

佐藤:ライブもアルバム制作も、実現させるのが本当に大変で。いろいろなところに働きかけて、神経をすり減らしてなんとかこぎつけたことだから、ホッとする気持ちも大きかったですね。安堵感と、ふぁなみりーたちへの感謝。あと、まわりのfhánaのライブのスタッフたちも、「今までで一番いいライブだった」と言ってたみたいなんですよ。僕はyuxukiくんから伝え聞いたんですけど。

yuxuki:大阪が終わった後に「一番良かった」って。それが一番嬉しかった。スタッフからわざわざ言われることってあまりないからビックリして。

佐藤:友人のアーティストも何人か見に来てくれて、「感動して泣いた」って言ってました(笑)。

towana:大阪の最後のアンコールでも泣いちゃって、なんで泣いたのかあまり覚えてないんですけど、たぶん嬉しかったからだと思う。嬉しかったのと、終わっちゃう寂しさもあって。

kevin:やってる側の意識としても、使い古された言葉ですけど、お客さんと一緒に作った感がありました。決まったセットリストでやってるけど。それ見せただけっていうメンタルでは全然ないんですよね。お客さんのおかげでこっちのテンションもまた上がって、高まった中でやれた感じがありました。

fhánaの軸がどこにあるのかを考えたんですけど、語り部なんです、fhánaって(kevin)

――アルバムの最終曲“Zero”の話をしたいです。これも、2022年3月時点の世界情勢というか、まさにリアルタイムで起きていることに反応した結果、生まれた曲だと思いますが、歌詞は軋轢や衝突を想起させるものだし、荒々しくて不安定な感じがある、fhánaには珍しい楽曲だなと。聴いていて、佐藤さん怒ってるのかな、と(笑)。

佐藤:(笑)怒ってるというか、徒労感ですね。積み上げてきたものがリセットされたという。まあ、それは怒りもあるのかもしれないですけど。もともと、アルバム全体のトラックリストを見たときに、重たい曲が多いと思ってたので、新曲はチルい感じで、軽く聴ける、箸休めみたいな曲がいいんじゃないかと考えていたんですけど、もうそんなこと言ってられない感じで、この“Zero”になりました。林くん(林英樹。作詞)に歌詞を依頼するときも、「今の世界の緊迫感を、そのまんま表現してください」って送ったら、「もはやアルバムの調和を引き裂いてしまうような歌詞になっちゃうかもしれないですけど、いいですか」と返ってきて、「実際、世界がほんの1ヶ月前とは状況が変わっってしまったので、それでお願いします」と伝えて、こうなりました。

『Cipher』も、もともと数字の「ゼロ」という意味があって、最初に『Cipher』を4thアルバムのタイトルにしようと思ったのは、10年ひと区切りみたいな意味で、原点回帰してもう1回ここから新しく旅立ち、新たなる旅立ちみたいな気持ちだったんですよね。還るべき場所があって、そこに還ってきてもう1回旅立つ意味での「ゼロ」だったんですけど、アルバムの17曲目の“Zero”は、リセットされたという意味での「ゼロ」ですよね。積み上げてきたものが崩れてゼロに戻っちゃうという。だけど、ゼロに戻っても旅は続けなきゃいけないし、それで絶望するだけじゃなくて、何度でも闇に火を灯すんだっていうことは歌いたい、という曲です。

――“Zero”は、ギターロックとしても非常にカッコいい仕上がりになっているわけですが。

yuxuki:弾いていて面白い曲でした。もう、ひたすらダウンピッキングをするという(笑)。休憩して手を止めると、腕に乳酸が溜まってきて弾けなくなるんです。アドレナリンで無理やり動かした感じです(笑)。

towana:“Zero”の歌詞は、歌うのがつらかったです。自分が心を痛めてふさぎ込んでも何にもならないってわかっていても、そうなっちゃうんです。だからわたしは、優しい感じで歌いたくて。佐藤さんからのディレクションでは、「そうじゃない、もっと切実な感じで、もっと強く歌ってくれ」と言われてしまったんですけど、自分の心の中ではすごく悲しんでいるので、難しかったです。表現として、作品として出すからには、自分のつらさが全開でもいけないじゃないですか。自分の中でどう折り合いをつけるかが、とても大変でした。

――ラストの“Zero”と冒頭の“Cipher.”は同じ意味を持つ言葉ですけど、終わって元に戻る意図がある、と解釈していいんですか。

佐藤:円環してますね。実際、人類の歴史も円環してますよね。安定して不安定になって、またいろいろあって安定して不安定になって――という、破壊と創造の繰り返しになっているし。

――そういう世界を旅する――「旅」ってfhánaのキーワードじゃないですか。それこそ、3rdアルバムの『World Atlas』は地図を見つけたから旅に出よう、というものだったけど、『Cipher』はどういう役割を果たしていくんでしょうか。

佐藤:みんなで旅に出よう、といっても、表題曲としての“World Atlas”は、ハッピーなだけの内容ではなかったですよね。「世界って本当はこうなんだけど、そこで絶望しないで、その火を絶やさないで、みんなで旅を続けよう」みたいな曲だったと思います。そのなかで、10年という時間はけっこう大きくて。世の中も人と人との関係も変わってしまうなか、一緒についてきてくれてるふぁなみりーのみんなの存在がすごくありがたくて。“Cipher”が10年間待っていたのは、ふぁなみりーのみんなだったのかもしれないなと。『World Atlas』からの4年間で世界はすごく変わってしまったけど、砂漠を行くキャラバンのようにみんなで旅を続けよう。『Cipher』は、そういう祈りのようなアルバムかなと思います。

――fhánaの音楽を求めてる人との関係性が、より深まるというものになっているんですかね。

佐藤:実際に、昔のシルクロードとかキャラバンも、単独で旅をすると夜の砂漠は危険がいっぱいだったりするんですよね。餓死してしまうかもしれないし、盗賊とかに襲われるかもしれない。なので、みんなで寄り集まって、群れで旅をしていた。その感覚が、より強くなったかもしれないです。

――世界のことを歌や歌詞や曲にして、それによって何かを救うのではなく、現状があって、その中にfhánaの音楽があって、その音楽のもとに集まる人が集まって、一緒に楽しい時間を過ごしてもいいし、音楽から何かを受け取ってもいい。その意味で、fhánaの存在意義を改めて確認できるアルバムでもあるような気がします。

佐藤:そうですね。towanaも言ってたけど、ライブで集まってくれるファンの方々によって、fhána側が救われてる部分もたくさんあるんですよね。ファンの方にも、そう思ってもらえたらいいですね。fhánaがいてよかったとか、ライブがあってよかったとか、何かを与え合うようなことができたらいいな、と思います。僕は90年代に思春期を過ごしたわけですけど、90年代の始まりはバブル崩壊と湾岸戦争が重なっていました。一方で、世の中的にはまだまだバブルの残り香も漂っていて、そんな90年代のサブカルチャーが求めていた「ほんとうのこと」は、このアルバムだと“Air”だと思うんですよ。世界は虚構で出来ていて、ライブの場に集まっているのも虚構でしかないんだけど、そこには愛に満ちた空間があって、その瞬間の心と心のやり取りは「ほんとうのこと」なんです。

kevin:fhánaの軸がどこにあるのかを考えたんですけど、語り部なんです、fhánaって。人間の世の中は複雑なわけですよ。いろんな利害があったりしてゴチャゴチャしてたりするわけですけど。起きてることをまず抽象化して説明しつつ、「もっとよくなるはず」みたいな希望を語るところが、fhánaのこれまでの曲にある要素だと思います。それをずっとやり続けているから、そこは10年経っても、fhánaが全然変わっちゃった、みたいにならない部分だな、と思いました。語り部って、別に自分の主張を極力入れないじゃないですか、起きたこと、伝え聞いたことを、正しく伝えるのが語り部だと思っていて。そこにあまり主観はないんだけど、希望があると信じているよ、みたいな。主観はないけど、世界のあり方を抽象化して伝えていて。

佐藤:確かに、普通の歌詞って、基本的にはみんな自分のことを歌ってますよね。特に90年代以降はそれがアーティスト、みたいな価値観もあるし。だからfhánaって、すごく珍しいと思うんですよ。僕の志向もあるし、メインで歌詞を書く林くんが外部にいるから、こういうバランスなんだろうなと。世界があって、それを描き出そうとするfhánaっていう集合体があって、最終的にそれを伝える依り代になってるのがtowanaである、という。そこで、ほんとに客観的に「世の中ってこうですよね~」って言ってるだけだと続かないし、こっちも面白くないし、人も集まってこない。そう考えると、いろいろ言ったけど最後は愛なんじゃないかって思います(笑)。

取材・文=清水大輔