エッセイ:栃木無探訪未遂/小林私「私事ですが、」
公開日:2022/4/30
美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。
さて、栃木県に行ってきたわけだ。
栃木のなんとかというところの、なんとかというホテルのような旅館のようなところに一泊してきた。
特段栃木に思い入れがあるわけではなく、というか最後に行ったのは確か日光東照宮、つまり中学生の頃合いで、例えばこの歳になって改めて古きをたずねて、といった心持ちであれば、何かこう、教養的なものが深そうな振る舞いになっただろう。これは反語である。
恥ずかしながら私も、旅館のあのスペースといった認識しかしていない場所(いや、広縁、と呼ぶことは知ってはいるが)を求めて、車で片道2時間くらいを目安に宿を探した。現代文のテストだけなんとなく点を取れてしまうひねくれ者よろしく、”文豪”っぽさ、というより、”文豪っぽさ”に憧れがあるのだ。形だけでも格好つけたい日があって良いじゃないか。
つまるところ、栃木である必要は全くなかった。ここに見られるような自然豊かな風景とまるっきり同じものが地元にあるのだから。現に、高速に乗って片道約150kmも車を走らせたのに、景色が全く変わらなかった。
ひなびた旅館でぼんやりしたい。平たく言えばこういった欲望である。これを満たすに際して、いかにも田舎っぽい民泊や旅館を探せば良い、という事は分かる。ホテルでは、広縁はおろかそもそも和室をあまり見かけられない。
しかし、私はどちらかというとホテルの方が好きだ。それは小綺麗な洋室の方が好ましいというわけでなく、スタッフとの距離が遠いからである。
そもそも民泊や旅館と聞いて、そこで働く人のことをスタッフとはあまり呼ばないだろう。従業員とか、もしくは昔ながらに仲居、女将だとか呼ぶのかもしれない。いや、呼び名は何でも良いのだが、なんとなく距離が近い感じがする。
「お客さんどこから?」なんて聞かれた日には二度と来ないことを心のなかで誓うだろう。
故に今回はホテルっぽさと旅館っぽさ、両方の性質を併せ持つ場所を探したというわけだ。三階建てという微妙な高さ、少し洋風なフロントの手前に、地元の名産品らしき土産物がじっくり見なくても良さそうな数だけ置いてある。
はなから観光する気持ちもないのだが、一応、旅気分を少しは味わうかと夜朝二食付きのプランにしてみるも、偏食でかつ少食の私にはまだ早かったようで、美味しくもありいまいち分からなくもあり、量だけは万全ですといった夕飯を終えた。
非常に都合の良い宿である。
唯一の誤算は宿の温泉が宿泊客以外にも利用可能で、恐らく地元の方たちの会合が行われていたことだ。これがもう、本当に騒がしい。
「にいちゃんどこから?」なんて聞かれたりなんかしたら最低だ。ずっと怯えながら湯船の端っこに浸かっていた。よくよく考えたら温泉も特に好きではない。そういえばビジネスホテルの部屋に備え付けてある、膝を抱えて浸かる小さな湯船の方が好きだった。
全く、旅に向いていない。
思い返せば、そもそも今日の目的はぼんやりとすることだった。荷物は、財布と携帯電話と眼鏡、積んであった本を幾つかリュックに詰め込んで、それだけである。引き摺る程増えてもどうせ車なんだから旅情は変わらないのだが、少ない荷物の旅人はそれだけ格好良いのだ。何より、備えていないのは、いかにもぼんやりしているじゃないか。
家に居る時も人並み以上にぼんやりとはしているのだが、例えば読書をしていて、いい本に巡り会うと、居てもたってもいられずに歌詞を書き出したりギターを触ったり絵を描いたりしてしまう。いい曲やいい絵や、その他ときめくものに関しては大抵そうなってしまう。
いや、うっかり脚色してしまった。まるで自分が才能っぽいものを携えているかのように書いてしまったが、別にこれは感受性豊かな衝動だとか、あるいは焦燥感だとかに起因しているわけではない。続きを読むのがなんとなく勿体ないから別の事をして保留しているだけであり、これを経たからといっていい作品が作れるわけでもない。単に集中力がない。
カンヅメという言葉がある。これにも少しの憧れがあったのだが、案の定自らを自らでカンヅメにすることにはあまり意味がなかった。やはりあの行為はある種の強制力が必要で、むしろ宿泊期間を過ぎれば当然追い出されてしまう。つまり今回は逆カンヅメだったのだ。
マズい、全然格好良くない。