「日本のアニメ脚本」はどのように作られているのか。第一線で活躍する作り手たちの言葉から見えてくること
公開日:2022/5/11
『SAVE THE CATの法則』や『ハリウッド脚本術』はもう読んでいて、「三幕構成」の考え方は知っている、というレベル以上の「アニメ脚本家」の志望者向けの本が、野崎透『アニメーションの脚本術 プロから学ぶ、シナリオ制作の手法』(ビー・エヌ・エヌ)だ。
この本は「脚本の書き方の方法論などない」という立場に立つ。だから体系的なメソッドは提示されない。代わって語られるのは押井守、片渕須直、丸山正雄、大河内一楼、岡田麿里、岸本卓、加藤陽一、花田十輝という第一線で活躍する監督、プロデューサー、脚本家による、現場で得られた経験知である。
ここではノウハウではなく、本書で識者たちが語る、アニメ以外のジャンルとの比較から見えてくる「日本のアニメ脚本」の特徴について紹介してみたい。
岡田麿里がかつてVシネマの脚本を書いていたときは、いきなり脚本を書いて提出してジャッジされ、採用されなければお金は入らない、というものだったそうだ。脚本家業に対してこういうイメージを抱いている人もいるかもしれないが、一般的にはそうではない。
アニメ脚本の場合は、
映画など:企画書(企画意図、コンセプト等)→プロット・箱書き→脚本
TVシリーズ:企画書→シリーズ構成→各話プロット→脚本
という制作工程で進行していくという。
ただし多くの場合、企画書はプロデューサーや監督が作り、脚本家はプロットから入る(TVシリーズで全体を統括する仕事の場合は、シリーズ構成から)。
かつて日本のアニメ脚本(家)は軽んじられており、絵コンテを担当する演出家がひとつも使わない、ということも横行していたのだという。
押井守はその理由について、「リソースが限られていたから」と語る。TVアニメではアニメーターが描ける原画の枚数にも限界があるし、納期から逆算すると1週間で1本コンテを切らなくては間に合わない、という時間的制約などもあり、その中でクオリティコントロールをするために、日本のアニメ制作現場では演出家と、演出家を統括する総監督に権力を集中させてきた――結果、脚本は軽視されるようになったのだ、という。
これはハリウッドの映画やドラマでイニシアティブを握るプロデューサーが、企画を考えたときにはまず脚本家をアサインして時間とお金と人数をかけてシナリオを作り込み、次にキャスティング、最後に監督を呼ぶという仕組みであることとはまったく異なる、と押井は言う。
また加藤陽一は、アメリカでは脚本家が集まるためのオフィスが常設されており、そこに集まって会議をしてから各ライターが自分の部屋に入って担当シナリオを書くが、それができるのは1本しっかり仕事すれば生活できるギャラが支払われているからだろう、と語っている。対して日本ではいまだ脚本にお金をかけていない――と。
こうした海外や他の表現ジャンルとの比較、歴史的経緯の語りを通じて、日本のアニメ業界にとって脚本(家)とはどんな位置づけの存在で、何が求められているのかを知る手がかりがこの本には書かれているのである。
「脚本」と一口に言っても、演劇とTVドラマとアニメでは当然違う。
「日本のTVアニメ」を書くにあたって知っておくべき周辺情報が、現場の第一線で活躍する人たちのインタビューを通じて見えてくるのがこの本のおもしろさであり、脚本家志望にとってはおそらくもっとも役に立つ部分だろう。
文=飯田一史