「どこでも、何度でも、人はやり直せるし、変わっていける」――自分を大事にすることがわからない30歳女性の希望の物語
公開日:2022/6/6
〈あなた自身が、あなたを大事にしてないから。あなたがあなたを嫌っているから。だから周りの人はみんな、ますますあなたを大事にしないし、嫌いになる〉。『今日のハチミツ、あしたの私』(寺地はるな/角川春樹事務所)の冒頭で、中学生だった主人公に投げかけられたセリフは、真実だけど、とても厳しい。
自分を大事にする・しないなんて、誰かから当たり前に大事にされているときに、わざわざ考えるようなことじゃない。些細なけんかをきっかけに孤立してしまった中学校だけならまだしも、歳の離れた弟が生まれて自分に興味を失ってしまった家庭でもないがしろにされ続けている中学1年生の少女が、自分を価値ある存在だなんて思えるはずがない。もし明日人生が終わるとしたら、と夢想しながら、どうにか今日を生き延びることだけを考えていた彼女――碧(みどり)は、30歳になった今でも、自分を大事にするとはどういうことなのか、いまいちわからないまま。自分を価値あるもののように接してくれる恋人・安西との、先の見えない関係を続けていた。
気に入らないことがあればすぐに仕事を辞めてしまう安西は、父親の会社に入るため地元に戻ることを決める。仕事を辞めてついてきてほしい、と請われた碧は悩んだ末に安西との結婚を決めるのだけど、3カ月以上も猶予があったというのに、安西は父親のもとに挨拶に訪れるまで、何ひとつ事情を伝えていなかった。安西父が初対面の碧に放った〈男を見限るタイミングを逃したまま年だけ食った女〉という暴言は確かにひどいが、縁を切ったも同然の息子がいきなり女連れで帰ってきて、2人まとめて面倒みてほしいと言われたら嫌味のひとつも言いたくなるだろう。その時点で、いいかげん目を覚まして別れた方がいいよ! と読んでいるこちらも言いたくなるのだが、すでに引っ越しを終えて、仕事も家もなくなり、実家も頼れない碧はあとに引くことができない。結婚を認めてもらうため、安西父が土地を貸している養蜂園から5カ月ぶんの地代を取り立てることになるのだが……。
碧が安西についていこうと決めたきっかけのひとつに、朝埜というその土地の名産が蜂蜜だということもあった。中学1年生のとき、見知らぬ女性がくれた〈蜂蜜をもうひと匙足せば、たぶんあなたの明日は今日より良くなる〉という言葉と、“あさのはちみつ”とラベリングされた瓶の蜂蜜。彼女が教えてくれた、自分を大事にする、ということは上手にできないまま大人になったけれど、その記憶が支えとなって碧は今日まで生きてこられた。碧にとって、養蜂園の仕事を手伝うことは取り立てのためだけでなく、彼女の手がかりを探ることにも繋がっていた。そして何より、ないがしろにされ続けた自分の明日をよりよいものにするための希望でもあったのだ。
これまで自分を犠牲にすることで誰かに必要とされようとしてきた碧だが、養蜂園の仕事、そしてスナック改装の手伝いを通じて、自分が楽しいと思える選択を重ねることが、誰かのためになることもあるのだと知っていく。その喜びが、碧を明日へと生かす。家族でも恋人でもない、友人とも呼べないかもしれない人たちが、碧の日常を支えてくれている。その支えが人生の礎になっていくのだと知った碧は、きっと、二度と自分を粗末になんて扱わないだろう。
そんな彼女がたどりついたラストの光に救われるのは、碧だけではない。北陸を中心に展開するKaBoS(株式会社勝木書店)の、多くの店舗で書店員からの支持を集め、「KaBoSコレクション2020」の金賞を受賞した本作は、地方から全国へとじわじわ人気を広げ、帯文にコメントを寄せた小説家の原田ひ香さん、文庫版の解説をつとめた宮下奈都さんも称賛する1作。「もし明日人生が終わるとしたら」。その問いかけとともに、多くの読者にとっても、自分を見つめ直すきっかけとなるはずだ。
文=立花もも