意識したのは、『羊たちの沈黙』×『ダイ・ハード3』。爆弾魔が東京を揺るがす、ノンストップ・ミステリー──『爆弾』呉勝浩インタビュー
更新日:2023/2/2
些細な傷害事件で、冴えない中年男が捕まった。その男──スズキタゴサクは、取り調べのさなかに「10時に秋葉原で爆発がある」と予言する。当初は警察も「酔っ払いの戯言」だと軽く見ていたが、スズキの予言どおりに爆発が発生。血相を変える刑事たちを前に、スズキはひょうひょうと予言を重ねる。「ここから3度、次は1時間後に爆発します」。果たして、この男は何者か。警察は爆発を食い止めることができるのか。
呉勝浩さんの『爆弾』(講談社)は、爆弾魔と対峙するノンストップ・ミステリー。へらへら笑って自分を卑下しながら、悪意を漲らせるスズキタゴサクはどのようにして生まれたのか。執筆の動機、群像劇にした理由について話を伺った。
(取材・文=野本由起)
ノンストップ・エンタメに、超越的な悪役を入れることで化学反応を起こしたい
──『スワン』『おれたちの歌をうたえ』に続いて、とてつもない作品を執筆されましたね。まずは、この小説が生まれた経緯についてお聞かせください。
呉勝浩さん(以下、呉):『おれたちの歌をうたえ』を書いている最中に、講談社から新作のお誘いをいただきました。そこで2、3回打ち合わせをしたものの、具体的にどういう話にするかなかなか決められなくて。ただ、『おれたちの歌をうたえ』が3つの時代を股にかけて、じっくり読んでもらうような作品だったんですね。僕は飽きっぽい人間なので、同じことを2度続けるのはなかなか難しい。そこで、もっとスッキリさっぱりストレートなエンターテインメントをやろうと思ったんです。このところ毎回“集大成”って言ってる気がしますが(笑)、『おれたちの歌をうたえ』もある方向性の集大成。今回は、それを踏まえて初心に帰ろうと思いました。
僕は、90年代のサイコサスペンス映画が大好きなんですね。一番好きなのは洋画だと『セブン』、日本映画だと『CURE』なのですが、源流を遡るとどちらも『羊たちの沈黙』にたどりつきます。ハンニバル・レクターのような敵キャラが好きで、デビュー作以降、何度かそういうキャラクターを描いたこともあります。そこで今回は、そういう路線の集大成として超越的な悪をガッツリ書いてみようと思ったんです。そして、スズキタゴサクというキャラクターの原型を考えていきました。
なおかつ、ノンストップで進む面白い話にしたかった。僕はデビュー2作目の『ロスト』という作品が、自分でもかなり面白いと思っているんですね。前半に誘拐事件が起きるのですが、事態が刻々と変わっていくスピード感があり、あの面白さはその後も超えられない気がしていて。今回も『ロスト』のように読者の興味を引く出来事が起きて、それを求心力にしてガンガン進んでいく物語にしたいと思いました。
そこで思い浮かんだのが、『ダイ・ハード3』です。爆弾テロとクイズの組み合わせという骨格だけお借りして、そのうえで自分なりのアレンジをしていきました。そこに『CURE』や『羊たちの沈黙』のような悪役を入れることで、化学反応が起きるのではないかと思ったんです。
──とはいえ、『CURE』で萩原聖人さん演じる悪役も『羊たちの沈黙』のレクター博士も、スズキタゴサクとはずいぶん印象が違いますよね。
呉:そうなんです。まず2022年の時点で、どういうハンニバル・レクター像を書けるだろうと考えたんですね。レクター博士は知的でエレガントなところがあり、カッコよさを備えています。『CURE』の萩原さんも同じですよね。
ただ、この作品は後発ですし、僕はひねくれ者ですからイメージを裏切る人物にしたいと思いました。そこで、ちょっと侮られるような、誰からも顧みられないような、なおかつ自虐的な振る舞いをするような中年のキャラクターを、レクター博士のポジションに据えてみることにした。そうすると、やっぱり彼にしゃべらせたくなっちゃうんですよね。しかも自分の作風的に、しゃべる内容もややこしいことになっていきました。
だからこそ、『ダイ・ハード3』のような骨格、シンプルな面白さが必要だったんですよね。逆に言うと、その骨格があるからスズキが何を語っても、読者について来てもらえるんじゃないか、僕が相当失敗しない限り、そこそこ面白いものになるんじゃないか、という目論見がありました。事実、そうやってエンタメとして一本筋を通した結果、スズキタゴサクを遠慮なくしゃべらせたり動かしたりできました。
──スズキタゴサクは異様な人物です。他人の命にランク付けをするような彼の言い分は身勝手で、到底許容できるものではありません。ただ、その言葉をずっと聞いていると、共感できなくもないと思えてくるところもある。スズキタゴサクのような主張をする人は、特にインターネット上に増えているような気もしますが、いかがでしょうか。
呉:最初は、スズキタゴサクに乱暴で短絡的で、でもどこか真実のように聞こえてしまいかねないことをガンガン言わせて、対峙する刑事が影響を受けたり、自分の中にあるものを引き出されたりする『CURE』のような展開を考えていました。
ただ、中盤である事件を書いた時に、大きな問題にぶち当たってしまったんですね。その事件を避ければよかったのかもしれませんが、自分としては書かなければいけないと思ってしまった。それを書く以上、スズキタゴサクがネットで炎上するような人物と同程度の悪では不十分です。そこで、以降は「スズキのロジックが、実は読者の心の中にもある」という方向を狙えないかなと思いました。そのために、スズキのロジックを少しずつ、自分の中で説得力を持たせていったんです。これが本当に難しい作業で。僕としては否定したいロジックですから、自分の中で矛盾が生じるんですよね。ただ、僕自身もスズキのような乱暴なロジックに接した時に、即座に反論できないこともある。そういうモヤモヤした感じを、読者にも共有してもらおうと考えていきました。
邪な欲望を抱えてしまったからと言って、人間は0点じゃない
──今回は、群像劇になっているのも面白いですね。スズキタゴサクを取り巻く警察側の人々が複数登場しますが、同じ警察官でもタゴサクのロジックに取り込まれそうになる人、揺れ動きながらも踏みとどまる人など、それぞれ違う思いを抱いています。群像劇にすることは、最初から考えていたのでしょうか。
呉:群像劇にすると、スズキタゴサクとの関係性がどうしても薄くなってしまうので、難しいかなと思っていました。ですから当初は、スズキの取り調べを最初に行う等々力という刑事をメインに据えて、1対1の関係を描くつもりでした。でも、やっぱり何か違うと思ってしまって。そんな中、等々力を引き継いでスズキと対峙する清宮と類家というふたりの刑事がサクッと出てきたんです。等々力は周辺に追いやられて、あっちこっちへ行く話に自然となっていきました。
──個人的には、それでもこれはやっぱり等々力とスズキの話ではないかと思いました。
呉:よく「登場人物の中で、誰が自分に近いと思いますか」と聞かれますが、この作品に関しては間違いなく等々力ですね。スズキのロジックの根本には、「人間、誰しも邪な欲望を抱いてしまうんだから、みんな0点だよね」「人間って汚い部分があるんだから、結局どれだけいいことをしたって汚いじゃん」という思想があります。でも、欲望自体を否定するのはしんどいじゃないですか。0点か100点かで片づけられるものではないはずです。等々力は踏みとどまろうとしている人間として描きたかったし、結果的にそうなってくれた気がします。
邪な欲望を抱えてしまったとしても、それを表に出さないよう我慢することが、陳腐な言い方ですが、人間のよさにつながるんじゃないか。それは、僕自身が考えてきたことでもあります。等々力は、大きな事件が起きれば起きるほど、解決に燃える一面があります。それは邪な欲望と表裏一体かもしれませんが、だからと言って自分は0点ではないと思っている。それが大事だと思ったし、そこで踏みとどまる彼を書きたいと思いました。彼の上司は、自分自身を75点だと言いますが、その辺が落としどころなんでしょうね。綺麗ごとと言えば綺麗ごとですが、ある読者はボールというかもしれないし、ある読者はストライクと言ってくれるかもしれないような、ギリギリの場所に投げ込んでいこうと思いました。
──スズキのような思想をなくすことはできませんが、落としどころを見つけて生きていくことはできる。そういう意味では、希望を感じるラストではないかと思いました。
呉:難しいんですよね。スズキ自身は、どうなってもかまわないという無敵の人。どうやって倒せばいいのか最後までわかりませんでした。ラストに関しては、編集さんとも意見が分かれましたし、最後の最後まで悩みましたね。作者としては、今の形が自分としても納得できるギリギリのラインです。「これでどうですか。どう読みますか?」と、逆に読者に問いかけるような形になりました。
──登場人物としては、スズキと直接対峙する清宮と類家のふたりも印象的です。特に類家は、スズキとちょっと似たところもあるように感じました。
呉:等々力もそうですが、完全にボーダーに立っていましたね。清宮は一瞬ボーダーを踏み越えてしまうけれど、それでも彼のほうが人間っぽい。踏み越えない類家のほうが、人間っぽくないんですよね。それは、清宮が既存の価値観に基づいてスズキと対峙するのに対して、類家は相手の価値観でスズキと対峙しているから。ナチュラルにそういう向き合い方になっているということは、おそらくかなりスズキと近しい部分があるんだろうと思います。
僕の中では、清宮が近代的だとするなら類家は現代的なんですね。彼は正義や倫理ではなく、事態をゲームのように捉えようとしています。スズキのような考え方をする人間が目立つようになったため、自分たちもそれなりに攻撃的な手段で対抗しなければいけない、みたいな感覚でしょうか。逆に言うと、非常に危うさをはらんでいる人物ですね。損得で相手と対峙しつづけたら、じゃあ自分の中にあった倫理やモラルはどうなるの?と。そのギリギリのところに類家は立っているし、僕が立たせたというところもあります。
──スズキ以外の登場人物はほぼ警察官ですが、大学生・細野ゆかりの視点も取り入れています。彼女を登場させたのはなぜでしょう。
呉:警察内だけで完結すると、スズキタゴサクが起こした事件やその影響を、読者が臨場感をもって体験することができない状態になってしまいます。でも、視点をさらに増やすのは怖かったですね。その時点で枚数もかなりありましたから、ここからもうひとつ視点を足すのはどうなんだろう、と。
それでも、とりあえずやってみるしかない。ちょっと偉そうに言うと、それをやる価値のある作品じゃないかな、と思ったんです。そこで足したのが、細野ゆかりのエピソードです。最後まで本筋とは直接リンクしませんが、結果的には書いてよかったですね。彼女のように一歩離れた立ち位置の人間が事態に巻き込まれることで、作品がもう半歩ぐらい広がったように思います。