「一人でカーニバルをやってた男」「越年資金」…中原中也、坂口安吾、太宰治ら、文豪に学ぶ「言い訳の奥義」
公開日:2022/5/22
人の素の部分はなかなか覗けないものだが、こと苦境に陥って言い訳するときには、その一面が垣間見える。また、言い訳から、その人の本質が見えたりもする。
『すごい言い訳!(新潮文庫)』(中川越/新潮社)は、文豪による言い訳の事例が多数掲載されている1冊。収録された言い訳から、文豪の素の一面をうかがい知ることができる。
例えば、子ども時代に「神童」と呼ばれながら、惜しくも30歳の若さで早世した稀代の詩人・中原中也は、意外にも酒乱であったらしい。本書では、酒を飲んだ中也が、作家・坂口安吾にいきなりつかみかかったり、東中野の居酒屋で飲んでいる太宰治に絡んでこきおろし、太宰から嫌悪されたりしたエピソードが紹介されている。
そんな中也は、酔余の狼藉の果て、周囲に詫びる機会がしばしばあったそうだ。
次は、中也が昭和8年、25歳のときに、親友へあてた詫び状。
昨夜は失礼しました。
其の夜、自分は途中から後が、悪いと思いました。といいますわけは、僕には時々自分が一人でいて感じたり考えたりする時のように、そのままを表でも喋舌ってしまいたい、謂ばカーニバル的気持が起ります。…(中略)…取急ぎ お詫旁々おしらせ致します。二十九日 一人でカーニバルをやってた男
著者は、この詫び状において、特に文末に署名代わりに置いた「一人でカーニバルをやってた男」の秀逸さを認めている。著者いわく、カーニバルの中にいる人は無礼講に決まっており、そんな人にとやかく言うのは無粋であるため、こう書かれると許すしかない。
お酒で失敗しがちな人は、このように自分を自虐的に見せつつ後日の謝罪効果を高める方法もありそうだ。
さて、酔った中也に“いきなりつかみかかられた”坂口安吾は「堕ちよ」が有名な堕落論で知られる戦後無頼派の作家だが、実生活からも反権威ぶりが見られる。
安吾は、当時の世の言論弾圧や検閲制度復活を阻止するために協力していた。そんな安吾は、東京地裁から出頭要請を受けたが、次のような返事を出して出頭を拒絶した。
小生、……目下至急執筆中……まったく寸刻のヒマもありません。…(中略)…私は裁判の制裁よりも市井の徳義を選びそれに従うことに致します。右、当日欠席の御返事まで。
この文章で著者が評価しているのは、「ヒマもありません」、「市井の徳義」に従うから行けない、と言ってのけた部分。裁判という公的な大事に比べ、小事の重さが勝ったと説明し、傲慢な公権力を愚弄した、と解説している。著者によると、安吾は幼児のころからサボり魔だったらしく、言い訳の文言を「市井の徳義を選び」と格調高くスマートに言い換えているところに年季を感じさせる、と述べている。
私たちは、理不尽な呼び出しに対して、長ったらしい言い訳をせずに、格調高い文言でスパッと断ることができるだろうか。
最後に紹介する言い訳は、やはり酔った中也に“絡んでこきおろされた”太宰治によるもの。『人間失格』で「恥の多い生涯を送って来ました」と書いた太宰は、実生活でも恥を忍んだ言い訳を重ねている。例えば、太宰は生活難から出版社に印税の前払いを頼んでいる。
きょうは一つ御願いがございますのですが、日頃の放蕩政策がたたって、年末に相成りますと甚だ窮し、…(中略)…印税の内から二千円ほど所謂越年資金として、いただく事が出来たら、…(中略)…何だかこちらへ来て、家の手入れなどしているうちに案外なほどお金がかかり、…(中略)…もちろん、これは所謂越年資金で、これ一回だけの御願いで、あとは本の出来上るまで絶対にこんな厚かましい御願い致しませぬゆえ、…(後略)
著者によれば、この言い訳文から、私たちが参考にできる部分があるという。まず、繰り返し出てくる「越年資金」。著者は、戦後の窮乏の時期にあって、この「越年資金」というキーワードは共感を得るのに効果的だったに違いない、と考察する。続いて、「家の手入れ」では、空襲の被害によるものなのだろうという相手の同情を呼び起こしている。最後に、相手の不安を見越した一言「これ一回だけ」で、相手の心配を多少なりと小さくしている。
私たちは、誰かに無理なお願いをする際、この文法から、時世に合ったキーワードや事象でまず相手の共感を得て、次に同情を呼び、最後に「これ一回だけ」で押してみると成功確率が高まる、と考えられそうだ。
本書には、芥川龍之介にはじまり、樋口一葉、宮沢賢治、吉川英治、福沢諭吉、川端康成、三島由紀夫、夏目漱石といった文豪たちの言い訳が、綺羅星のごとく収録されている。文豪の意外な一面を知ると同時に、私たちの言い訳力を磨く助けにもなりそうだ。
文=ルートつつみ
(@root223)