もしも殺人事件の犯人に仕立て上げられたら…打つ手のない状況に追い込まれていく男をめぐる物語『俺ではない炎上』

文芸・カルチャー

公開日:2022/5/27

俺ではない炎上
俺ではない炎上』(浅倉秋成/双葉社)

 芸人のスマイリーキクチさんが、ネット上の書き込みによって殺人事件の犯人に仕立て上げられたのは1999年のこと。本名が、犯人の名前と酷似しているというそれだけの理由で、犯人だと決めつけた正義感あふれるネット住民に、10年間も誹謗中傷され続けたのを知ったとき、ぞっとした。「やってない」を証明するのは、とても難しい。ではもし、最初から罪をきせるつもりだった何者かが、自分になりすましたSNSアカウントで殺人の証拠を投稿したとしたら? 果たして、それは自分ではない、と証明することはできるだろうか。周囲の人たちは、無実の主張を信じてくれるだろうか。『嘘つきな六人の大学生』で脚光をあびた浅倉秋成さんの最新作『俺ではない炎上』(双葉社)は、そんな打つ手のない状況に追い込まれた一人の男をめぐる物語である。

 ある日、「たいすけ@taisuke0701」というアカウントが〈血の海地獄〉〈ゴミ掃除完了〉などというコメントともに投稿した血濡れた女性の写真。これはガチかもしれない、と大学生の住吉初羽馬(しょうま)が思ったのは、そのアカウントが10年前から存在している、ごく普通に生活感のあふれるものだったからだ。フォロワー稼ぎをしている様子もない、ごくごく個人的なアカウント。だからこそその投稿には“ついにやってしまった”という生々しさがあった。放っておくのはまずいのでは、と投稿をリツイートしたのは初羽馬だけでなく、情報はどんどん拡散され、やがて山縣泰介というハウスメーカーに務める男が持ち主として特定される。

 だが、泰介には殺人はもちろんSNSアカウントをつくった覚えもなかった。泰介の知らぬ間に、素性は写真付きで公開され、事件として燃え広がっていく。会社に帰ればクレームの電話の嵐。街中を歩けば、誰かに追われる。さらに泰介を追い詰める出来事が起こり、野次馬に目撃されてしまう――。

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 やましいことがなければ堂々としていればいい、なんて当事者じゃないから言えることだ。誤解は必ず解ける、そう信じていた泰介が、しだいに「逃げるしかない」と追い詰められていく過程の描写は見事で「自分も同じ目に遭ったらどうしよう」と思わずふるえてしまうリアリティもある。自分は人望があると信じていた泰介が、周囲に裏切られていく過程もまた、読んでいておそろしい。ふだんは親しくしていても、窮地に立たされたとき、自分のまわりの人たちが自分を信じ、味方になってくれるかどうかなんてわからない。人の印象も、関係も、たやすく反転してしまうのだと突きつけてくるその描写は、『嘘つきな六人の大学生』で人の多面性を残酷なまでにえぐりだした浅倉さんならではの筆致である。

 ひとり逃亡を続ける泰介を追う警察、不安に揺れる家族、そして傍観者だったはずが事件に巻き込まれていく初羽馬たちを通じて、私たちは事件の真相を追う。だが本当に泰介は犯人じゃないのか? 泰介自身がみても「俺が書いたんじゃないか」と錯覚しそうなほど、泰介らしさで溢れたアカウントを、他人が10年も運用していたなんておかしいじゃないか。と、主人公すら疑わざるをえない本作。最後の最後まで仕込まれた反転に驚かされるのが、悔しくも心地よく、一気読み必至である。

文=立花もも