過剰な信頼が怒りを生み出すことも。世の中への信頼スイッチを“オフ”にすることも必要/誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法
更新日:2022/7/21
いつも多数派の意見に流されてしまう…。そんな「同調圧力」に弱い方も多いのではないでしょうか?
今回ご紹介する『誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法』では、臨床数9万件超の経験を持つ、心理カウンセラー大嶋信頼さんが「同調圧力」への向き合い方をわかりやすく解説します。
「同調圧力」のメカニズムがわかれば、もう嫌な方向に流されない!『誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法』を読み終えた後、きっと心も軽くなるはず。
「親切に教えるのが当然」と、自分のなかで思い込んでいると“無視”されたときに裏切られた気持ちに! 自分の常識や考えを押し付けず、客観視することも大切。
※本作品は大嶋信頼著の書籍『誰にも嫌われずに同調圧力をサラリとかわす方法』から一部抜粋・編集しました
「同調圧力」を押しつけてくる人って何者?
「同調圧力」の正体は、世の中に対する過剰な信頼感
◎「親切にされて当たり前」って本当?
では、まず同調圧力の正体を見ていきましょう。
そのために、恥ずかしながら、また私の例からはじめさせていただきます。
みなさんは、人に何かを尋ねた際に無視をされたら、どう感じるでしょうか?
私も以前、友人との待ち合わせで道に迷った際、同じようなことがありました。
向こう側から歩いてきた男性に「あの、すみません! この場所は?」とスマホの地図を見せて尋ねたら、スルーされてしまったのです。
そのとき私は、「あれ? 思いっきり無視をされた!」とショックを受けました。
でも次の瞬間、そのショックは「なんで無視するんだよ!」という怒りに変わり、無視をした男性にその不機嫌オーラを同調圧力として噴射したくなったのです。
これを読んだみなさんは、「問いかけを無視することはないじゃないか」と当時の私に共感してくださる方もいるかもしれません。
しかし、その反対で「いきなり話しかけられたら、怖くて逃げるかも」と思った方もいるかもしれません。
そうなのです。いまの私から見ても、「あれ? なんで私は、あの男性が親切に道を教えてくれる人と決めつけていたんだろう?」と疑問が湧くのです。
だって「親切に教えるのが当然なのに、無視をされた」ということで怒っているわけですから。
もし「親切に教えるのが当然」と思っていなければ、「無視されてムカつく!」ということにはならずに、「まあ、そうだよね〜」という感じで、そのまま受け入れられるはず。
瞬間的にそれができなくて「信頼していたのに裏切られた!」という感じで怒ったのは、「世の中に対する過剰な信頼感があったから」なのです。
◎自分の常識は、他人の非常識!?
私は、子どもの頃からキリスト教の文化の中で育ったこともあって、「困っている人がいたら親切にしなさい」と教わってきました。だから、道に迷って困っている人がいたら、居ても立っても居られなくなってしまいます。
でも、日本にいながらキリスト教の家庭で育った人というのは、1%前後だから「ほとんどの人は同じような教育は受けていない」ということを、私も頭ではわかっていたはずなのです。
それなのに、瞬間的に「なんで? ムカつく!」となってしまいました。
また、道を尋ねたこと以外でも、出勤するときに下の階の人と階段で遇ったとき、「おはようございます!」と挨拶をしたら、これもスルーされ、「え? 無視するの?」とムッとしてしまったこともありました。
「こっちが笑顔で挨拶をしているのに、なんで無視?」と、通勤途中もずっとぐるぐるしていて、「仕事をしていてもムカついて思い出す私って異常?」となってしまう。
でも、このケースにしたって、「挨拶は返してくれて当然」と思っているから起きたことなのです。
「ちゃんと挨拶をしましょう!」という教育を私は受けてきたので、「世の中の人はみんな挨拶をするもの!」と世の中を信頼しきっている。だから「無視された!」となったら「裏切られた!」となって、すごい怒りが湧いてきてしまう。
仕事をしているときまで浮かんでくるって、よっぽどだな、と自分でも呆れてしまうのですが、私は人や世の中を信頼しすぎているから、そんなことになってしまうんです。
考えてみれば、最近の教育では「知らない人に声をかけられても無視をしましょう」と教えている学校や親御さんも多いはずです。
お子さんが知らない人に声をかけられ、ついていってしまったら大変なことになるから、そのような教育が必要になるわけですよね。
そういった教育を受けてきた人たちが大人になれば、「知らない人」からの接触は「無視するのが普通!」となる。
であれば、無視をしたその相手が悪いわけでもなんでもない。
国によっても、家庭によっても、時代によっても、教育や常識は異なって当然なのですから、自分と同じ感覚をみんなも持っているはず、と世の中のことを信じすぎてしまった私が、「ひどいことをされた」とショックを受けて勝手に傷ついてしまっただけなのです。