エッセイ:焼肉一匹狼少年/小林私「私事ですが、」
公開日:2022/6/11
美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。
一人焼肉。
これはもう、いたって普通の行為であるから、その日は少し贅沢をしてスタミナをつけようくらいの心持ちであった。
フロントガラスにまとわりつく雨粒をワイパーがどかし続けること約一時間。仕事帰りにふと思い立ち、地元にあるチェーンの焼肉屋へ向かった。駐車場から店の入り口まで、少し遠いのが難点だが、この程度の小雨ならあまり気にすることもない。奇しくも二回連続で焼肉の話題であることも同様に。
出迎えた店員に、一人ですと告げるとややあって席へ。食べ放題の勧めを丁重に断る。当店のご利用は初めてかと問われると、来たことがある店でも何か仕様が変わったのかと身構えてしまう。案の定、いつの間にかタブレットで注文する形式になっていたようだ。いちいち呼んで注文するのは煩わしいし、私はこういう店で店員と会話をしたくなさのあまり何も頼まなくなるので非常に有り難い。
まず飲み物を、とのことなのでジンジャーエールを注文。酒じゃないのかよという間。そうでないなら違和感がある程度の沈黙を破って店員が去る。タブレットは同時に持ってくるそうだ。やけに隣の席が騒がしい。全く構わないが、ついたての下が少し空いている。貴重品は窓側に置いておこう。
タブレットが届いた。さっそくタンを注文する。断っておくと、焼肉にはなんのこだわりもない。ただ、一人で焼肉に来ている人間が豚トロとライスしか頼まないのはなんとなく無礼な気がしたからだ。自分は物静かにこだわって肉を焼く一匹狼なのですというアピールくらいはしておかねばならないと思った。付け加えると、タンは別に好きじゃない。
その勢いでカルビ(ハラミだったかもしれない)とサンチュを注文。どちらも別に好きじゃないが、一応である。そもそもサンチュとはどんな味だったか。肉と、添えてあった味噌だれを巻いて頂く。みずみずしいからなのか、やけに濡れていて気持ちが悪い。葉っぱの青臭さと、そういえば全然好きじゃない味噌の香りが鼻から抜けてくる。やや不快だ。
ユッケ。食べたことがない。寿司や刺身、ローストビーフ、その類の身の赤いままの食べ物については長年、加熱という文明を無視した食べ物だと認識していた。ただ私はここ一年で突如生モノを克服し、寿司も食べられるようになっていたため、注文。
美味くも不味くもなく、異常にもったりとしている。火を通したら美味いんじゃないだろうか。
満を持して豚トロとライスを注文。ジュウジュウと、脂が音を立てて網の隙間から炭へ滴り火柱を上げる。肉の端の方がどんどん黒くなっていく。あまり気にしない。
美味い。先ほどまで続いていたやや不快感が嘘のように美味い。豚トロと飯だけが食べたいなら家で焼いて食えば良いという意見はごもっともだ。あなたが居酒屋好きなら家で酒を飲めばいいし映画好きはビデオを借りるといい。
デザートを頼むべきか頼まぬべきか。胃袋ハムレットを脳内で展開していると、唐突にキムチが届いた。キムチ、当然好きじゃない。そもそも白菜が好きじゃないし、漬物が好きじゃない。というか、頼んでない。
あの、頼んでません。と告げると店員は訝しげな顔で、はあ、すみません。とキムチを持ち帰った。と思ったのも束の間、お客さん頼んでますよね、と帰ってきた。頼んでない。好きじゃないと濁したがキムチは嫌いの部類だ。そもそも食べられない。食べられないものは流石に頼まない。
注文履歴を確認してください、と言われたのでタブレットを開く。確かに頼んでいる。全く記憶がない。ただこのまま受け取っても食べないままキムチが乾燥していくだけなので、キャンセルをお願いした。店員は全く納得のいっていない顔をしていたが、こっちも同じ気持ちである。だって頼んでないのだから。
店員が去った後、改めて注文履歴を確認すると、よく見るとキムチ以外にも全く記憶のない注文が何件も入っている。これには流石に怯えた。タブレットは座っているソファの横に置いていたので、気付かない間に尻かなにかで操作してしまっていたのだろうか。何にしてもこのままだと頼んだ記憶のない肉やつまみが大量に届くことになる。慌てて店員を呼んだ。
先程とは別の店員がやってきた。あの、頼んだ記憶のない注文が入っているのですが。と恐る恐る聞くと、どうやら間違って注文を付けていたようだ。良かった。自分の後頭部に口でもあるのかと疑い始めていたところだったのだ。
誤解が解けて安心し、ジンジャーエールの残りを啜っていると、カルビが届いた。もちろん頼んでいない。店員側で情報を共有してほしい。私はもう気付いている。さっきからその注文は全部騒がしい隣の席のものだ。どうやら15番席と16番席がごちゃごちゃになっているらしい。早く間違った大量の注文履歴をどうにかしてくれないだろうか。
どっと疲れた。ただでさえ日頃の食事はドライブスルーかコンビニ、店員が話しかけてきそうな服屋には決して入らないよう生きてきているのに、無駄に疑われて無駄に会話を重ねてしまった。もうデザートとかはどうでもいいので会計をしよう。そう思ってタブレットを開くと、注文履歴がそのままだ。
普段、店員のミスでちょっと損をすることがあっても話しかけ回避代として納めている自分だが、この量の会計は流石に嫌だ。店員を呼び出す。16番席すげー呼ぶじゃんと思われているのか、なかなか来ない。本当に狼がいるんです!
ようやくやってきた店員にこの大食漢の注文履歴はどうしたらよいのかと聞くと、間違えている分の注文は食べ放題メニューのものだから会計には入らず、無視していいそうだ。じゃあ呼ばなくてよかったじゃないか。
若干の腑に落ちなさを抱えて会計を済ませた。レシートが異様に太くて長い。凄く邪魔だが一応財布に入れる。ガムいりません。
出入り口の扉を閉める直前、会計をした店員に別の店員が「レシートもらったか?」と聞く声が聞こえた。確認していないが、恐らくこのレシートはめちゃくちゃ間違えた注文のままのレシートだ。これを返さないと店は困るのか、はたまた何も関係ないのか。分からないが少し急ぎ足で車に乗り込み、一息つく間も無くエンジンをかけて駐車場を後にした。
雨は一段と強くなっている。台風が来るらしい。
こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。
多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタート。
シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信。チャンネル登録者数は14万人を超える。
2021年には1stアルバム「健康を患う」がタワレコメン年間アワードを受賞。
2022年3月に、自らが立ち上げたレーベルであるYUTAKANI RECORDSより、2ndアルバム「光を投げていた」をリリース。
Twitter:https://linktr.ee/kobayashiwatashi
Instagram:https://www.instagram.com/yutakani_records/
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