『テルマエ・ロマエ』作者・ヤマザキマリと解剖学者・養老孟司から学ぶ、あたたかき非人情
公開日:2022/6/10
梅雨の時期が来ています。雨が降るとついつい「鬱陶しい」と思ってしまいがちですが、そもそも雨は人を嫌がらせるために降ろうとしているのではなく、ひとりでに降ってくるものです。足元に目を向けて少しだけダンゴムシやカタツムリの気持ちが分かるのならば、雨が降ってジメジメした気候というのはとても嬉しいものになるかもしれません。ご紹介する漫画『テルマエ・ロマエ』作者・ヤマザキマリと解剖学者・養老孟司の共著『地球、この複雑なる惑星に暮らすこと』(養老孟司、ヤマザキマリ/文藝春秋)では、人間世界ひいては生態系の複雑さや人間中心主義ではない生き方について、深い意見交換がじっくりとなされています。
両氏の共通項は「昆虫」です。ヤマザキ氏は自然豊かな北海道で幼少期を過ごし、昆虫観察に没頭していたといいます。養老氏は箱根に昆虫標本保管のための別邸を持っているほどの昆虫好きです。本書には2018年から2021年まで養老氏とヤマザキ氏が積み重ねてきた7回の対談が収録されていて、ヤマザキ氏の息子や養老氏の昆虫採集仲間も時折対談に参加する構成となっています。
養老氏は、ヤマザキ氏の印象をこのように表しています。
マリさんは、人として、自然に近いタイプの人である。将来の目標を掲げ、奮励努力して、一歩ずつ目標に近づく、という人生を送ってはいないと思う。周囲の状況の中で、なんとか生きているうちに、結果としてこうなってしまった、というお人柄である。
目標を設定して型にはまっていくのではなく、草木のように伸びていき、枝葉や花をしだいにつけていくように生きてきた両氏は、言語のこと、身体のこと、経済のこと、環境のこと、美のこと、死生観のことなど実に様々なトピックに触れていきます。特に養老氏がかねてから指摘している「脳化」という傾向については、本書で深く、具体的に指摘されています。
「脳化社会」では、様々な局面で「頭」に重きが置かれて、体が軽んじられます。たとえば、特に近年SNSが主流の時代となってからの傾向として、長い文章が読めない人が増えたことが指摘されています。一聴すると「情報の渦に巻き込まれて思考停止し頭が使えていないからだ」と結論づけてしまいそうですが、実はむしろPCやスマホに没頭しているときは、頭をまるごと使ってしまっているのだそうです。
養老:長いものを読んでるときは、実は脳は比較的一部分しか使ってない。一方で、パソコンを使っているときは、脳を満遍なく使ってるんです。だから最近は脳を満遍なく使うタイプの人が多くなってきた。
ヤマザキ:PCはメンタル・メタボ解消のツールなのか。
養老:そうですよ。だって脳を満遍なく使うと、常識家ができるでしょう? ただそうすると、僕なんかの感覚に照らし合わせて目立つのは、議論が一段階で終わっちゃうんですよ
ヤマザキ:なるほど。無刺激だと発展がない状態になる。
似たような脳の持ち主同士が議論をしても発展の余地がありません。個人の頭の中でも、使っている箇所と使っていない箇所があり、他者との掛け合いの中で刺激が生まれてこそ思考がどんどん進化していくはずです。
しかし、それは現代日本でとても生まれにくい状況になっているといいます。SNSでしばしば起こる「炎上」という現象も、脳が満遍なく使われ、体自体は鈍化して、議論が複雑・重層的に進行しないためにそうなるという見解が示されています。両氏はどちらも「まとまらない」ことに楽しさや美を見出しています。
目の前のことや現在直面していることに意味や思いやりを感じる「人情」はたしかにある程度大事でありつつも、それが過度になることに対して、両氏は本書を通じて警鐘を鳴らしています。
複雑さ・曖昧さ・役立たなさ・比類無さを楽しむ「非人情」を同時に持ち合わせてバランスをとれるようになるかもしれない「オトナな一冊」の本書を手にとってみてはいかがでしょうか。
文=神保慶政