思い残したことを、果たしたい。『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』監督・安彦良和インタビュー
公開日:2022/6/10
名作は色褪せない――1980年代に一世を風靡し、いまもなおシリーズ新作が作りつづけられているガンダムシリーズ。その原点ともいうべき初代TVアニメ『機動戦士ガンダム』の1エピソードが、当時のメインスタッフ・安彦良和の手によって翻案され、劇場版アニメ化された。
翻案されたエピソードは第15話「ククルス・ドアンの島」。シリーズの前半にオンエアされた1話完結型のエピソードであり、一年戦争を描く『機動戦士ガンダム』のストーリーとは一線を画すような脱走兵と戦災孤児の人間ドラマが、当時から語り草になっていた。この物語を現在のアニメーション技術と、劇場版というスケール感で描いたのが、本作『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島(映画『ククルス・ドアンの島』)』となる。
本作の監督は、初代『機動戦士ガンダム』でキャラクターデザイン、アニメーションディレクターを務めていた安彦良和。漫画家として『機動戦士ガンダム THE ORIGIN(以下、THE ORIGIN)』を執筆し、同作アニメ化に際して総監督としてアニメの現場に復帰。御年74歳となる安彦氏が、この映画『ククルス・ドアンの島』をなぜ作ろうとしたのか。作品に込めた想いをたっぷりと語っていただいた。いま、名作がよみがえる。
思い残したことを、やりとげるための『ククルス・ドアンの島』
――安彦さんは『THE ORIGIN』のアニメ化のために、しばらくぶりにアニメーションの制作現場に復帰されました。今回の『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』で監督を務められているのはその流れもあるのかなと思うのですが、あらためて安彦さんにとって『THE ORIGIN』のアニメ復帰はどんな経験でしたか。
安彦:アニメ『THE ORIGIN』で復帰するまで、四半世紀、アニメの現場から離れていたんですね。その間にアニメの現場でもデジタルの技術が使われるようになったし、現場に入ったら浦島太郎状態になるだろうと思ったんですよ。そう思っていたら、現場の方が気を遣ってくださって、優しくしてくれた。おかげで疎外感はほとんどありませんでした。そういうことがあったので、今回(映画『ククルス・ドアンの島』)も作業的にはついていけるだろうなという感覚がありました。手厚いサポートをしていただいて、とても気持ちよく作業ができました。
――『THE ORIGIN』の一年戦争編もアニメ化したいというお考えがあったのでしょうか?
安彦:スタッフの中にはアニメ『THE ORIGIN』の制作を続けたいと意思表示をはっきりと示してくれた方もいます。僕も、全部アニメ化してみたいという気持ちもありました。ですが、マンガ「THE ORIGIN」でアニメ化できたのは全体の四分の一程度で、全部をアニメ化するとなると、単純計算で3倍くらいのボリュームがあります。年齢のことも考えて、ちょっと難しいかもと思いましたね。なので「THE ORIGIN」が終わった時点で僕のファーストガンダム(初代『機動戦士ガンダム』)は一度終わりました。思い残したこと、やり残したことがあったまま終わりを迎えたんです。
そうやって燻ぶった思いを抱えていたら、ふと僕の中で「『ククルス・ドアンの島』はどうだろう」という思いが沸いてきたんですね。これはTVシリーズの『機動戦士ガンダム』は1話完結のエピソードで、とてもコンパクトです。でも、これなら思い残したことが満たせるんじゃないだろうかと。それで、サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)の先代の社長(宮河恭夫)と現社長(浅沼誠)がたまたま同じ場所におられたときに、こちらから「ククルス・ドアンの島」の再アニメ化を提案したんです。そうしたら即決でOKをいただきました。
――「ククルス・ドアンの島」は初代『機動戦士ガンダム』の第15話。当時の安彦さんは深く関わっていなかったと伺いました。そのエピソードのどこに「思い残したことが満たせる」と思われたのでしょうか。
安彦:「ククルス・ドアンの島」の話は単純に言うと「戦災孤児をかくまう」話なんですよね。「弱いものを力で守る」という話なんですけど、アムロ(・レイ/「機動戦士ガンダム」の主人公)が生意気にも、それはちょっと違うんじゃないですか?とアンチテーゼを掲げて、「弱いものを守るときに拠り所にしていたモビルスーツのザク」を捨ててしまうんです。当時の僕は第15話の制作が行われていたときは、全然関われなかったんだけど、とても心に刺さった。「弱いものを力で守ることはどうなのか」という問題提起がなされている。エピソードとして、とても深い。「ククルス・ドアンの島」の脚本を書いた荒木(芳久)さんにはまだお会いしたことがないんだけど、ストーリーは、とても面白い切り口だったと思います。でも、当時の制作状況では、第15話は捨てざるをえなかった。それはメインスタッフだった僕にも責任の一端があるわけで。申し訳ないことをしたなと、ずっと心の中に残ってた。
あと、僕の記憶では非常に不確かなんだけども、「ククルス・ドアンの島」というエピソードは一部に引きがあるようだったんです。たしかゲームかなんかになってる。そういうことも含めて、僕のなかではずっと燻ぶっていた。そうしたら偶然、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN MSD ククルス・ドアンの島』というコミカライズ作品にぶつかった。それはまったくの偶然だったんだけど。
――雑誌「ガンダムエース」でおおのじゅんじさんが連載していた『機動戦士ガンダム THE ORIGIN MSD ククルス・ドアンの島』は、安彦さんの『THE ORIGIN』の外伝という立ち位置の作品でした。安彦さんはそのコミカライズをご存じではなかった、という。
安彦:そう、コミカライズの話は聞いていたらしいんだけど、僕がすっかり忘れていたんですね。そういうことも、背中を押してくれるひとつのきっかけとなりました。
リアルな戦争の気配を描くための新たな舞台設定
――今回、劇場用に翻案するうえで、TVシリーズの第15話とは、時系列や位置関係が変更になっている部分があります。この変更については、どのようにお考えになっていったのでしょうか。
安彦:この「ククルス・ドアンの島」にはドアンという脱走兵が登場するんですよね。脱走兵が出るということは、ジオン軍がかなり後退局面に入っているんだろうというイメージがあったんです。第15話の段階ではまだ早いだろうと。僕は『THE ORIGIN』を描いているときに、一年戦争の時系列を動かしているんです。戦争の流れを考えて再構成していたんですね。『機動戦士ガンダム』ではオデッサ作戦と、ジャブロー基地攻防戦という大きなふたつの出来事がありますが、言っちゃうとオデッサが先か、ジャブローが先かということなんですよ(※)。
今回の映画『ククルス・ドアンの島』ではその位置づけをジャブローを経過してのオデッサ作戦の前にしようと。時系列を動かす以上は、舞台となる島の場所もそれに沿って考えないといけない。いまはこういう時代ですから、「某所」なんて言い方をして、誤魔化すのはダメなんですね。すぐに検索されて、「そんな島ないよ」と言われてしまう。実在する島にしようと最初から考えていました。それで、私が慣れないPCを使って、カナリア諸島の無人島を見つけました。今回の映画で最初にしたことは、島探しですね。
※TVシリーズ『機動戦士ガンダム』では、主人公アムロが乗る戦艦ホワイトベースは宇宙から地球の北米に降下。太平洋を横断してほぼ地球を一周する航路を取りながら、連邦軍の本部がある南米のジャブローへ向かう。一方、『THE ORIGIN』では、北米から南下してジャブローへ向かうルートを取る。
――戦争と脱走兵を描くうえで、今回の時系列と舞台を選んだわけですね。島のモデルとなった無人島はどんな島なのでしょうか。
安彦:今回の舞台となったアレグランサ島(Isla de Alegranza)はクレーターもあって、あと地図にはライトハウスってのもある。なんじゃこりゃと思ってみていたら、灯台なんです。これはいいじゃないかと。ひとりでウキウキしながら「この島にしよう」「この島もらった!」と(笑)。
――戦争の局面を考えて、設定を翻案されたということですが、ドアンという脱走兵についてはどのように考えていかれたのでしょうか。
安彦:戦争で取り残された兵士というと、僕らの世代では小野田さん(小野田寛郎/第二次世界大戦終戦後もフィリピン・ルバング島に残留していた兵士)の印象があるんです。今の10代の人は知らないでしょうけどね。そういうイメージにドアンを重ねて、あの島に残敵がいるに違いないと。それで劇中で「残置諜者」という言葉を使っているんですね。
――初代『機動戦士ガンダム』の「ククルス・ドアンの島」には、そういう戦争の残り香があるんですね。
安彦:作品として作られた時代としては70年代ですからね。『機動戦士ガンダム』を制作した当時はベトナム戦争が終わったばかりのころでしたし、『地獄の黙示録』(1979年)のような映画もありました。やっぱり時代的なものがあったのかなあ、なんて思いましたね。荒木さんとお会いできたら、そのあたりも伺いたいと思っています。
脱走兵と戦災孤児たちの楽園
――ククルス・ドアンは、映画『地獄の黙示録』のカーツ大佐のようなタイプの人間ではないとは思いますが、アレグランサ島では子どもたちと幸せそうに過ごしていますね。ドアンと子どもたちの関係をどのように描こうとお考えでしたか。
安彦:僕は昭和22年の生まれですから、子どものころには『鐘の鳴る丘』(ラジオドラマや映画)のように戦災孤児のお話があったんです。繁華街のガード下には靴磨きをしている人もいたし、あちこちに戦災孤児がいた。その人たちは今どうなったのかな、と時折気になるんです。頑張って高齢者になられるまで生きてこられて。実は戦災孤児だったんだよと最近になって語られる方もいて。おそらく実際の戦災孤児の方はずっと暗い顔をしていなかったと思うんですよね。黙って耐えて、ときには笑いながら成長してきたんだと思うんです。
映画『ククルス・ドアンの島』でドアンとともに暮らしている子どもたちも、そういう感じで描けないかと思っていました。みんなつらい過去をもっているけれど、表向きは楽しそうに過ごしているんだって。ひとり夜泣きする子がいるんだけど、そこにつらいところが少し見えるくらいで、あまりベタベタ悲しい感じがしないほうが良いだろうと。考えてみれば、この子たちはみんな孤児なんだよなと気づく、それくらいの距離感でいいんじゃないかと思っていました。
――映画『ククルス・ドアンの島』では、子どもたちが力を合わせて、料理をして、楽しそうに食事をするシーンがとても印象的に描かれていました。
安彦:はい。明るいんです。戦災孤児という型にハマらないように、ステレオタイプに陥らないように。悲劇の子どもたちということをあまり強調すると、魅力的に見えなくなってしまうかもしれない。見た目は明るく見えていいだろうと、一歩引いたらみんなつらい過去を持ってるんだな、と思い出す。そのあたりは田村(篤)さん(キャラクターデザイン、総作画監督)の筆の力も大きいと思います。
――ところで、気になることがひとつ。劇中で子どもたちはヤギを一頭飼っています。ヤギは子どもたちを振り回し、戸惑わせます。終盤はハーモニー処理のカット(絵画タッチの止め絵)まで登場します。ヤギの描写がとにかくリアルで印象的だったのですが、このこだわりはどこから出たものなのでしょうか。
安彦:僕の実家ではヤギを飼ってたんですよ。乳搾りも良くしていました。搾った乳を、ヤギは後ろ足でよくひっくり返すんです。そういう経験があったので、そのとおりに描いています。子どもたちの間に当然のように一員としてヤギがいるんです。ブランカって名前は根元(歳三)さん(脚本)が考えたんだけど。
――安彦さんの実体験が織り込まれていたんですね。
安彦:ブランカはいい味を出せたなと思いますね。ヤギの気性の強さや、かわいさは良く知ってますから。
取材・文=志田英邦
▼プロフィール
安彦良和(やすひこ・よしかず)
1947年12月9日生まれ、北海道出身。弘前大学中退後、虫プロ養成所に入りアニメーターとなる。フリーのアニメーターとして『宇宙戦艦ヤマト』『勇者ライディーン』『無敵超人ザンボット3』に参加。アニメーションディレクターを勤めた『機動戦士ガンダム』が大ヒットを記録した。1990年以降、漫画家として活動。第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞(『王道の狗』)などを受賞した。2001年より『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を連載。総監督として同作のアニメ化に参加し、約25年ぶりにアニメ制作の現場に返り咲いた。
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