ドリフはなぜ今も面白いのか? 演劇史から考察する“ザ・ドリフターズ”の足跡と功績
更新日:2022/6/15
昔のお笑い番組を地上波テレビで再放送する、ということは今ではほとんど無きに等しい。映像作品として商品化されたものやBS、CS放送、配信などで見ることはできるが、当時の流行であったり、世相や風俗が取り入れられていたりすることがあるため、十全にその面白さを理解することが難しい。また古臭く感じてしまうこともあり、そのお笑い番組を当時楽しんでいた人がノスタルジーで見ることがほとんどで、新しい視聴者や若い世代のファンを獲得することはなかなか難しい。
しかしそれをやってのけているグループがある――それが、ザ・ドリフターズだ。
テレビの地上波放送、しかもゴールデンタイムで昔のコントが蔵出しされて何度も放送され、2020年にメンバーであった志村けんさんが亡くなったときは、追悼番組として様々なコントが放送された。さらに現在活躍中のアイドルや芸人たちが、ザ・ドリフターズのメンバーとともに過去の名作コントの脚本を演じる『ドリフに大挑戦スペシャル』という番組まで作られ、新しい視聴者を獲得している。昔のコントを見て子どもたちが腹を抱えて笑う、つまりその面白さには“普遍性”があるということだ。何の前情報もいらず、いつ、どこで、誰が見ても面白い……これは、すごいことである。
しかし「ザ・ドリフターズはその存在の大きさに比して、正当に評価されていないのではないか」「ドリフを歴史的に位置づけ、全体像を描き出そうという試みはついぞなされてこなかった」と感じてきたというのが、ここでご紹介する『ドリフターズとその時代』(文春新書)の著者であり、演劇研究者の笹山敬輔氏だ。
本書は日本で脈々と続いてきた演芸の歴史の中で「ザ・ドリフターズ」がどんな存在であるのかを俯瞰しながら、各メンバーのプロフィールやバックグラウンドといったミクロな視点からの考察を加え、1956年に音楽バンドとして結成され、メンバーチェンジを繰り返して徐々に笑いを中心にしていく過程、そして1969年から始まった『8時だョ!全員集合』の時代、最高視聴率50.5%を誇った同番組が終了した1985年以降の活躍、メンバーの死、そして現在までの出来事を年代順に並べ、その実像に迫っていく。本書を読み終えると、ドリフが何を大事にし、なぜ今でも「ドリフのコント」が老若男女問わず笑えるのか、その秘密がよく理解できる。
笹山さんは以前、自著『昭和芸人 七人の最期』(文藝春秋電子版)を解説する「ダウンタウンと昭和芸人と。昭和と2016年をめぐる芸人論序説」という文章で、こんなことを書いている。
お笑い芸人は、他の芸能に比べて、晩年を穏やかに生きることが難しい。歌手は、ヒット曲が出なくなっても、歌が下手になったとは言われない。また、俳優は、主役を演じることがなくなっても、脇役として渋い演技を見せる道がある。彼らは、昔より人気を失っているかもしれないが、歌唱力や演技力への評価は保たれたままだ。だから、プライドを保ちながら、晩年の仕事をこなしていくことが可能となる。だが、芸人は人気を失ったとき、即座に「面白くなくなった」という評価が下る。しかも、お笑いには、観客の笑い声という明らかな指標がある。どれだけ自分を騙(だま)そうとしても、笑い声のない客席を前にしては誤魔化しが利かない。笑わせることができなくなった芸人には、逃げ道がないのである。
しかしドリフは“今”も面白いのである。これは、すごいことである。
太平洋戦争後に隆盛を極めたジャズ音楽という芸能界のメインストリームの中から生まれながら、そこから外れて独自の音楽と笑いを追求し、日本人の半数が見て、笑った、ザ・ドリフターズ。その足跡と功績がまとめられた本書は、戦後芸能史と昭和から令和までの時代を知る上で重要な一冊であるといえよう。
文=成田全(ナリタタモツ)