片岡家に空前のカラオケブームが到来! 自分が主役になれる物語を、カラオケボックスで見つける/片岡健太(sumika)『凡者の合奏』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/20

 クラスのあの子のように、ホームランも打てない。

 クラスのあの子のように、100点も取れない。

 自分がまったく太刀打ちできなければ、考え方も変わっていたのかもしれないが、小学生の僕は、草野球で時折のヒットなら打てたし、テストも65点くらいは取れた。だからこそ、人生の平衡感覚が、さっぱり分からなかった。

 アニメやゲームの中では、大体は敵か味方の100か0だった。きっと、僕の人生は他の誰かが主人公の物語で、勇者のパーティーという重要ポストにもつけず、かといってまったく登場しない訳でもない、とりわけ村人Aのような感覚で一生を過ごすのだ。どこにも属せない自分のモブ具合に、つくづく嫌気がさした。

 そんな自分が主役になれる物語が、街の小さなカラオケボックスで見つかった。

 たとえ小さな世界でも、ホームランが打てるということは、その世界では、おそらく主人公なのだから。

 音楽の良いところは「誰がどう見ても1点」という明確な基準が存在しないことだ。野球のバッターであれば、ピッチャーが放った白球をバッターが真芯で捉え、その打球が一閃、スタンドに飛び込む。その瞬間に観客は、全員スタンディングオベーションして、拍手し、ある者は涙する。誰がどう見てもホームランだし、誰がどう見ても1点だ。反面、僕の頭の中で鳴っている快音は、可視化できない。僕がホームランと言えばホームランなのだ。そんな自分勝手なルールに酔って、僕は高く大きな声を出し続けた。

 大人になった僕は、変声期を経て、あの頃の高い声なんて想像できないくらいに声が低くなった。しかし、どうしたものか。まだ頭の中で「カキーン!」という音だけは聴こえる。僕が主人公になれる、僕だけが正解を作れる世界に今も魅了され、誰かと共有できる幸せを感じている。

凡者の合奏

<第7回に続く>

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