収録中は「ずっと春樹さん」だった!? 小澤征悦さんの朗読で聴く、村上春樹作品のオーディオブック『職業としての小説家』《インタビュー》
公開日:2022/6/18
仕事中はオンライン会議に出席し、プライベートではスマートフォンの画面をスクロール――生活様式の変化にともなって、いつのまにか“画面疲れ”していませんか?
そんなあなたに新しい楽しみと癒しをもたらしてくれそうなのが、オーディオブック。「聴く読書」として、通勤中やランニング中、または家事をしながら、耳で読書を楽しめる、と注目を集めているサービスだ。
オーディオブックサービスのひとつ、Amazonオーディブル(Audible)では、日本語では初となる村上春樹さんの作品のオーディオブック制作を発表。そして2022年6月1日には、村上さん自身が小説家としての生き方、小説の書き方を語ったエッセイ『職業としての小説家』(新潮社)が、俳優・小澤征悦さんの朗読で配信となった。小澤さんが考える、オーディオブックの魅力とは? 世界的な小説家の創作論や人生に触れ、小澤さんが得たものとは? お話をうかがった。
取材・文=三田ゆき
キャラクターがある小説に比べ、エッセイの朗読は「毎回ずっと春樹さん役」
――『職業としての小説家』の収録までに、村上春樹さんの作品をお読みになったことはありましたか?
小澤征悦さん(以下、小澤) あります……どころか、春樹さん、大好きなんですよ。ハルキストと言ってもいいかもしれません。最初に読んだ春樹さんの作品は『国境の南、太陽の西』(講談社)、18歳のときでした。「なんだ、この世界観は!?」と衝撃を受けて……僕は作家さんに興味を持つと、その作家さんの著作を、発表された順に読むんですよ。春樹さんの小説も、ほとんどすべて読んでいます。なかでも一番好きなのは、『風の歌を聴け』(講談社)ですね。何十回読んだかわかりません。今、読んでいるのは、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社)。これも10回は読んでいると思うのですが、不思議とまた読みたくなるんですよね。この世界観が恋しくなるというか。
――『職業としての小説家』を、まず目でお読みになったときの感想は?
小澤 『職業としての小説家』は、小説ではなくエッセイなので、春樹さん自身についての言葉なんですよ。想像の世界を通していないので、ダイレクトに“村上春樹”という人が理解できる作品だなというのが、最初に感じられたことです。村上春樹が、いかにして今の村上春樹になったか、そして、いかにして今もそれを続けているか――僕としては、春樹さんが言葉をなりわいにしてくれたこと、それを今でも続けていらっしゃることに、感謝したいという気持ちですね。
『職業としての小説家』を読んだあとに、他の春樹さんの作品を読むと、またぜんぜん違う味わいがあるんですよ。『職業としての小説家』の収録中は、『1Q84』(新潮社)を読んでいて、これも何度も読んでいる作品だったのですが、「こうやって書いているんだ」ということを理解しながら読むと、やはり違って見えてきましたね。謎解きというか、作品のなりたちのようなものがわかります。
――『職業としての小説家』は、しっかりとボリュームのある作品ですよね。朗読をされているときに、お感じになったことはありますか?
小澤 わかっていたことではありますが、春樹さんのワードセンスと、文章の書き方を体感しました。春樹さんの文章はすごく音楽的なので、声に出さないで目で読むのと、声に出して読むのとではきっと感覚が違うだろう、あらためて大変な朗読になるだろうなと予想はしていましたが、予想以上に(笑)。目だけで読んでいるときは本当にスッと頭に入るのですが、声に出してみると、非常に難しい言葉づかいをしているところがあるんです。
この作品は、冒頭から収録していったのですが、実は僕、最後まですべてを録り終わったあとに、第1回と第2回の録り直しをさせてもらっているんです。監督をはじめ、いろいろな方に迷惑をかけることはわかっていたのですが、どうしてもやりたくて……というのも、初日に読んだ第1回と第2回は、まだ『職業としての小説家』という作品のリズムをつかみ切れていなかったんです。長い作品を朗読することを通して、“村上春樹”のリズムに乗っかることができ、「なるほど、こう読めばいいんだ」「こう読めば難しい部分も心地よく届けることができるんだ」ということがわかってきて。最終的に僕の仕事は、この作品を聴く方に届けることですからね。声に出して読むことで見えてくるものがあるなということを、再認識できたと思います。
――聴いている側は大変心地よく楽しめますが、朗読のお仕事は、ずいぶん過酷なものだそうですね。
小澤 1日に6時間くらい録音ブースにこもって、ひとりでしゃべることになるのでね……肉体的にも精神的にも過酷ですが、どこかに「自分ひとりの戦いである」という意識があるんですよ。もちろん監督がいてOKかどうか判断はしてくれますが、自分でも、その言葉、その文脈に対しての声のトーンは合っているか、口にしながら聴いていなければならないので、想像以上に集中力が必要です。録音したものを、あとで聴き返すこともできないんですよ。聴き直していたら、倍以上の時間がかかってしまいますからね。自分で読みながら聴く、その音が合っているかどうか考えるという瞬間の積み重ねなんです。収録中は、一瞬たりとも気が抜けませんね。収録の前はチョコレートを食べるなど、糖分を摂るようにしていました。
春樹さんも『職業としての小説家』の中でおっしゃっていますが、もしかすると小説を1冊とか2冊書くのは、それほど難しいことではないのかもしれない。でも、小説を長く書き続けることは至難の業だ、と。気持ちが乗っているときでも、そうでないときも、400字詰原稿用紙換算で10枚を書き続ける――そういったルーティンにすることに大切な意味があるという点では、朗読にも近いものがあるのかもしれませんね。収録は、長編小説を書くほどの期間ではないけれど、自分と向き合う時間になりますから。たとえ監督のOKをもらっても、自分で納得できなければ何度も読み直します。
――読む側には、大変な苦労があるのですね。聴いている側は、こうしてお話している小澤さんのお声がすごくいいので、幸せな時間だろうなと思うのですが……。
小澤 あっ、でも今回の朗読では、少し高めのトーンで読んでいますよ。僕は春樹さんにお会いしたこともありますし、実際の春樹さんの声のトーンを知っていますから。春樹さんって、作品の印象よりも声が高い気がするんですよ。だからこそ、難しいことを言っていてもどこかポップな感じが出せるのではないかなと、声は高めを意識しています。聴いてくださる方にも、そのほうが聴きやすいのではないかなと思いますしね。
朗読は、大変な作業ではありますが、充実した時間であることも間違いありません。原稿が最後の何枚かになってくると、「読んじゃえば終わっちゃう、終わりたくないな」という一抹の寂しさもありました(笑)。『職業としての小説家』はかなりボリューミーな作品でしたが、ボリュームの点で言うと、『ねじまき鳥クロニクル』三部作の朗読を担当された藤木直人さんは、もっと大変だったかもしれないな。とはいえ、小説の朗読は、キャラクターがあって、会話があるので、読んでいるほうも物語に乗っかれるから、いろんな制約はあると思うけれど、ある意味読みやすいかもしれません。それに比べて、『職業としての小説家』は、毎回ずっと春樹さん役だから……(笑)。収録中は、春樹さんが目の前にいて、じっと見られている感じですよ。「どうだ、僕の言葉は」って。
春樹さんの精神的にマッチョな部分は、うちの親父とも共通している
――映画やテレビドラマ、舞台でのお芝居やナレーションとは違う、朗読ならではの難しさやおもしろさはありますか?
小澤 「走らない」ことでしょうか。たとえばご自身で、なにか文章を声に出して読んでみていただきたいのですが、録音したものを聴いてみると、おそらく「速い」と感じると思うんですよ。読んでいるときは、それが心地よいリズムなんです。でも、それを「聴く」となると、適切なスピードはまた違う。朗読のときは、テンポを走らせず言葉をひとつひとつ伝えること、それでいてゆっくりになりすぎない、ちょうどいい塩梅で読むことを心がけています。車でいうと、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるようなものですね。前に行かなきゃいけないけれど、速すぎちゃいけないからブレーキを同時に踏んでいるという。朗読している側は難しさもありますが、そのぶん、聴く読書というものが、それぞれの人の内部に入っていく親密なものになるのだろうとも思いますね。没入できる時間を楽しんでほしいです。
――「目で読む読書」とは違って、「聴く読書」は他人のテンポに委ねるところがありますものね。そういった朗読をされている方との親密な関係があるからこそ、目で読むときとは違った視点や味わいが生まれてくるのかもしれません。
小澤 そうだと思います。春樹さんも『職業としての小説家』の中でおっしゃっていることですが、春樹さんと春樹さんの作品の読者は、街ですれ違ってもおたがいの根っこが繋がっていることには気づかない。でも、実際には共通の物語を心の深いところに持っていて、「小説的に」繋がっているって。きっと僕と、僕の朗読を聴いてくれた方も、村上春樹という人を通じて、どこか繋がれるところがあると思うんです。Audibleの作り出す親密さからは、そういった良さが感じられると思いますね。
――今回の作品を、どんな人に聴いてもらいたいと思われますか?
小澤 もちろんより多くの人に聴いてもらいたいなと思いますが、もし村上春樹さんの作品を読んだことがない方がいれば、その人が最初に手に取る村上作品として、このAmazonオーディブル版『職業としての小説家』は、ぴったりだと言えるかもしれません。春樹さんの小説の書き方を知っていれば、難解だと言われる『風の歌を聴け』も、はじめから深く味わうことができそうですよね。
それにしても、『職業としての小説家』によれば、『風の歌を聴け』という作品は、英語で書き上げた文章を日本語に翻訳していくという、大変な作業を経て書かれたものだそうです。そういった方法を、20代で、誰に言われたわけでもなく自分で思いついて成し遂げるなんて、本当にすごいことですよね。人生に迷っている人や、成し遂げたいことがある人の人生勉強にもなると思います。春樹さんの作品を好きな人は、その作品がどんなふうに書かれたかという答え合わせのようなこともできるし、春樹さんという人についても、「なぜ文壇から距離を置いているのか」といった興味深いポイントについて知ることができる。この『職業としての小説家』を読み、聴くことで、春樹さんという人と作品に、より親しむことができそうです。
――今回、ひとりの世界的な小説家の核の部分に向き合われるというお仕事を経験されて、小澤さんご自身の今後のお仕事、生き方も変わっていくのではないでしょうか。
小澤 そうですね。僕、春樹さんって、マッチョな方だと思うんですよ。筋肉方面でのマッチョじゃなくて、精神的なマッチョですね。なにかを貫く精神的な強さを持っている、という意味で。その点は、うちの親父(小澤征爾さん)にもちょっと共通しているところがあるんですよ。親父も、なにかを成し遂げようとするコアの部分を持っている人だし、それは人生においてすごく大切なものだと思います。そのコアに、今回、『職業としての小説家』を朗読することで、ちょっとだけ触れたような気がする。そこに少しでも近づけるよう、自分の中に、ずっと春樹さんの視線を持ち続けていたいですね。
Amazonオーディブルとは…?
人気のナレーターが朗読した本を「聴ける」音声エンターテインメントサービス。2022年1月より定額聴き放題制に移行し、月額1500円で12万以上の対象作品を楽しめる。初めての人はAudibleまたはAmazonサイトからの登録で「30日間無料体験」も可能。さらに、Amazonプライム会員なら、7月25日(月)まで「3カ月間無料体験」できるキャンペーンも実施中。