平面論: 1880年代西欧 (精神史発掘)
平面論: 1880年代西欧 (精神史発掘) / 感想・レビュー
やいっち
窒息による絶命をほんの束の間でも先延ばしするには、どうするか。そう、中には性懲りもなく皮膚の底に潜り込もうとする奴がいる。ドアの向こうに何かが隠れているに違いない。皮膚を引き剥がしたなら、腹を引き裂いたなら、裂いた腹の中に手を突っ込んだなら、腸(はらわた)の捩れた肺腑に塗れたなら、そこに得も言えぬ至悦の園があるかのように、ドアをどこまでも開きつづける。決して終わることのない不毛な営為。
2021/06/25
あかふく
不可能性について。マテリアルなページを意識化すること。そこに書かれる言語についてはマラルメが参照される。「流通する」言語=貨幣は散文のものであり、詩の言語は異なる物質的なものだとされる。「流れること」が重大であった時代に詩が糾弾され、「正しく伝わる」散文が称揚された歴史も思われる。しかし立体的なものが無くなった時代は詩を復活させたか。また、歴史が思われるとすると、ここで1880年代以降の近代についてと言いつつもそれは遡られてしまうことになるだろうか。<枠>をあまりに無視しすぎているだろうか。
2013/08/07
感想・レビューをもっと見る