エクソフォニー-母語の外へ出る旅-
エクソフォニー-母語の外へ出る旅- / 感想・レビュー
チェ・ブンブン
いかに、別の言語特有の韻を翻訳するか、外来語を母国語の良さを利用して翻訳するかが分かる本。「献灯使」で異常に、「翻訳」に拘ったワケ、翻訳の基準が分かり、レポートが書きやすくなった。
2015/04/26
James Hayashi
興味のあった著者のエッセイ的な作品。エクソフォニーとはドイツ語で,母語の外に出た状態一般を指す.ドイツに暮らしドイツ語で書物を出す著者が世界の各地に招かれ旅をし、言語に関する思いを綴られている。
2015/11/19
ががが
「外国語を知らない者は母語を知らない」というゲーテの格言がある。エクソフォニーとは自分の母語から出ていくこと。いわば自分の慣れ親しんでいた言葉を外から眺めて見えてくる世界がそこには開けている。20年以上ドイツで創作活動をしている著者には日本語とドイツ語を行ったり来たりすることで培われた独特な言語観がある。特におもしろいのが、言葉を「形式(音・文字)」と「意味」に切り離して考えないことだ。言語はコミュニケーションの手段に過ぎないと言われることがあるが、言語にあるもっと神秘的な力を模索しているのかもしれない。
2022/10/07
Ecriture
母語の外へ出るエクソフォニーの概念は、なぜ外国語で書くのか、ではなく、なぜ日本語でしか書かないことを選んでいるのかという疑問に向き合うことになる。そもそも個人の内にも複数の言語の折衝があるとき、一つの言語の外へ出ないこと自体が不可能であろう。(主に)日本語・ロシア語・英語・ドイツ語の枕木を次々と通過する旅人多和田葉子は、ときに「くだらないダジャレ」と批判されることがあっても、強い信念と怒りをもって言葉の揺らぎを見つめ続ける。小説家のエッセイの中では最高クラスの作品でしょう。
2013/02/14
こばやしこばやし
エクソフォニーとは母語から出ることによって、母語の魅力に気付き真価を引き出す営みなのだろうか。日本語とドイツ語で詩や小説を執筆する著者よエッセイ。非常に示唆に富む。日本語に漢字が含まれていることは、抽象的観念を漢字に依存していることの考察なんて、現行のカタカナ語の氾濫と同根の問題なんだろうなあ。外国語のように、日本語を考察して戯れる。凝り固まった日本語の使用法から外に出ることはなんて素敵なんだろうと思えた。英語の浸食力は恐ろしいが、経済的優位性と結びつき今後とも留まることを知らないだろう。
2024/10/25
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