言葉を生きる
言葉を生きる / 感想・レビュー
新田新一
著者の自伝的なエッセイ集。私は片岡さんの書く物が好きで全作品を読もうと思っています。小説も良いのですが、本書のようなエッセイに惹かれます。英語の達人なので、英語の世界から見た日本語の特徴が詳細に語られます。本書の内容もほぼそれに当たります。142ページに「西伊豆とペン」とあります。これは”This is a pen”の洒落です。「西伊豆とペン」が日本語の世界だと論じます。主語や動詞のない曖昧な表現です。自分はどうしてもこの世界に入れなかったと自嘲気味に述べられます。私にも似たところがあるので、深く共感。
2024/10/01
踊る猫
片岡義男の書く「日本語と英語」論はいつも私の襟を正すものとして読める。彼は恐らく言葉の唯物論者なのだろうと思う。彼の中には少なくとも日本語と英語という2種類の言葉が備わっているわけだが、その言葉は単に話し言葉/書き言葉という次元を超えて彼の行動規範/価値観を左右するもの、思考回路を支えるものとして機能していることが話される。私たちだって同じように言葉を操りあるいは言葉に操られていると言えば言えるわけだが、彼の中で常に働くそうした「操る/操られる」という力学に彼は自覚的になり、こうした私小説的随筆に結実する
2023/02/19
踊る猫
片岡義男にとって「書く」とはどういう営みなのだろうか。それは一方では純然たる頭脳労働(書き手の知的営為)ではあるだろうが、同時に片岡にとってはそれこそ「額に汗して」を地で行く肉体労働(宮台真司的に言えば「強度」)をもたらすものではなかったか。片岡のこの自伝的なエッセイ群からはそうした、片岡義男という書き手に内在する野性的な勘や本能と書くことが必然的に結びついてそこから1人のフリーランスライター、そして小説家へと発展を遂げる過程がまざまざと見えてくる。むろん紆余曲折あっただろうが、その発展のすさまじさに唸る
2024/08/11
踊る猫
この著者に関しては常々、侮っていたと反省させられている。書くものは感覚的に捉えたものを展開させていると思っていたのだけれど(どんな著者も直感に頼ってものを書くというツッコミはあろうが)、そこから演繹してより広く・深く論理を発展させていく力が優れていると思うのだ。それはしかし、この書き手の恋愛小説(さほど読んでいないが)もその通りかもしれない。優れた批評家としての資質を備えており、『日本語の外へ』ほど徹底されてはいないがそれがあからさまにされた仕事としてこの本を挙げてもいいのではと思う。興味深く、そして濃い
2021/04/26
matsumoto@読書中
僕にとって、片岡義男という作家はまずタイトルのネーミングの名手だ。さしむかいラブソング/瞬間最大風速/俺を起こして、さよならと言った/粉雪のつらく降るわけ/一日中空を見ていた…どれもイメージが広がるすばらしいタイトルばかりではないか。だから、この長篇エッセイでも、居酒屋の壁の品書きから「塩らっきょうの右隣」という意表をついたタイトルを思いつき、物語を考えるくだりがとても面白い。
2012/06/29
感想・レビューをもっと見る