日本永代蔵 (岩波文庫 黄 204-5)
日本永代蔵 (岩波文庫 黄 204-5) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
大坂の森田庄太郎版の板本の奥書には、貞享五(戊辰)年とある。1688年にあたる。この頃はまだかろうじて一獲千金の「江戸ドリーム」を夢見ることができただろうか。本書30話のうち、半数以上は致富譚である。箸屋善兵衛をモデルとした「わらしべ長者」のような巻3の1「煎じやう常とはかはる問薬」や、三井九郎衛門がモデルの巻1の4「昔は掛算今は当座銀」がその典型。しかし、面白さは、むしろ富を失う、例えば巻1の2「二代目に破る扇の風」や、巻3の5「紙子身袋の破れ時」の方にこそあるようだ。もっとも致富譚にも破れかぶれで⇒
2017/12/07
syaori
西鶴の経済小説で町人物の嚆矢とされる作品。「金銀、有所にはある物かたり」「人のためにも成ぬべし」とあるように、蓄財の参考となる致富談や財産蕩尽の物語が語られます。その中で、手水鉢の前で手拭いを売る成功譚などのほか、親の遺言を胸に富者になった男が京で奢侈を覚えて音羽の滝の水を汲ませるといった贅沢で身代を潰したり、小の晦日に借金の取り立てに行った先の凄まじい様子が描かれたりして、まさに「人程賢くて、愚かなる者はなし」といった人間の有様と当時の町人世界が冷徹に洒脱に活写され、その西鶴の筆の冴えを楽しみました。
2023/04/04
シュラフ
「金銀を溜べし。是、二親の外に、命の親なり。・・・死すれば何ぞ、金銀、瓦石にはおとれり。」なんと歯切れよい文体なのだろう。そしてカネとの適度な距離関係がよい。これは井原西鶴が書いた江戸時代の長者列伝である。内容はいたって単純なもので、真面目に働いた者が金を貯め、淫欲に走った者が金を失う、という人間模様が描かれる。井原西鶴は淡々と成功者と失敗者について語るだけ。善悪とか勝ち負けの判断を持ち込んではいない。そこに西洋的な絶対的判断はなく、人生いろいろといった書きぶりである。これが日本人の人生観というべきか。
2016/02/24
壱萬参仟縁
挿絵がグー。ルビある。「人間、長くみれば、朝(あした)をしらず、短くおもへば、夕(ゆふべ)におどろく」(15頁)。人の一生を一日にたとえるとそんな感じなのか。「天命をしらず、人は十三才迄は、わけまへなく、それより廿四五まては、親のさしつをうけ、其後は我と世をかせぎ、四十五迄に、一生の家をかため、遊樂する事に極まれり」(106頁)。人生50年ならば、そんな感じだろうか。今は80年だが、格差社会だから家を建てれる人と、建てれない人といる。「四十以後、死をわきまへ、正直に世わたり」(云々172頁)。自重したい。
2013/10/17
うた
面白いといえば面白い。町人の粋な風情がかんじられ話も立体的ではあるんだけれど、いまいち入り込めない。説話だからなんだろうか?
2010/12/19
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