阿部一族―他二編 岩波文庫 (岩波文庫 緑 5-6)
阿部一族―他二編 岩波文庫 (岩波文庫 緑 5-6) / 感想・レビュー
新地学@児童書病発動中
改行が少なく、活字がぎっしり詰まった文章で、おまけに難しい言葉が多く使ってある。読む前に逃げ出したくなるような文章だが、我慢して読み進めてみると明快で格調高い名文であることが分かってくる。『阿部一族』は文体が作品の内容によく合っている小説だ。自分の主君が病死した後に、殉死を選ぼうとする武士たちを描いている。愚かと言えば愚かなのだが、この律義さ真面目さが日本人の一面をよく表している。もちろん命を粗末にするのは間違いで、森鴎外もその点をこの小説でさりげなく訴えたかったのだろう。
2018/01/05
molysk
亡君細川忠利に殉死を容れられなかった阿部弥一右衛門は、誹りに耐えかねて許されなかった殉死を遂げる。だが阿部一族への誹謗は止まず、嫡男権兵衛は先君の一回忌での不敬を咎められて縛り首となる。度重なる恥辱に耐えかねた阿部一族は屋敷に立て籠もり、藩主からの討手にことごとく討ち死にする。死すべき時に死なず、生きながらえたために誹りを受ける。このような武士の倫理を、前近代的なものとして切り捨てることも可能であろう。だが、乃木希典の殉死の翌年に発表された本作で、鴎外は殉死の意味を問いかけているように思われる。
2022/03/06
安南
切腹好きを自認しているというのに、この作品の存在を忘れていた。読友さんのつぶやきから再読。ひとりの藩主の死に、いったい何人の侍が腹を切ったのか。次々に切る切る切る。忘れていたのも仕方ない。ここには、忠義としての殉死はなく、体面を保つためにに汲々とする武士達の姿があるばかり。官能性どころか浪漫も感傷もない。とはいえ、如何に馬鹿馬鹿しいことでも、お笑い種にすることはできない。乃木希典の殉死事件直後に執筆された作品。殉死についての鷗外の複雑な思いを感じた。
2014/12/29
rena
森鴎外記念館で作家の平野啓一郎さんが、鴎外ファンですべて作品読んでいるそして、鴎外の作品には、自分ではどうしようもない運命に翻弄される人々が主人公となっている。阿部一族も細川藩主の忠利から1人だけ殉死が許されなかった老臣の話。昔は、お家の恥、面目をこの上なく失い、子孫への待遇も他の殉死の家来達と違って冷遇される。殉死を許さなかったお殿様は、弥一右衛門になんとなく好きくない何かを感じていた、これがドンドンと暗転していき終には、。。可哀そうだ。努力しても好かれない人今も此処彼処にいる気が。
2017/04/01
chanvesa
「阿部一族」は鮮烈である。君主側としては奉公する家来の世代交代制度としての理性的な側面(36頁)がある。一方、家来たちは主君の死に殉ずることが、武士道としての側面と、それに付随するある種の世間体として目に見えぬ強制のような非理性的な側面がある。鴎外はこの裂け目が気になったのではないだろうか?登場人物の大半が死んでいく。この展開において、弥一右衛門と権兵衛の親子のパーソナリティ、偏屈のDNAが、細川の殿様をかちんとさせ、悲劇の端緒になっている。個人があがらえない奔流としての歴史。冷静に書き切る鴎外の眼差し。
2015/12/02
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