渋江抽斎 (岩波文庫)
渋江抽斎 (岩波文庫) / 感想・レビュー
藤月はな(灯れ松明の火)
資料だけでなく、関係者やその子孫にも取材を当たっているのが森鴎外の几帳面さを垣間見るよう。だが、新約聖書の冒頭、または『失われた時を求めて』を彷彿とさせる程の一読じゃ、こんがらがりそうな人物の来歴や関係図の羅列に目が滑る(笑)さて、内容については抽斎は本書の半ばでこの世を去ります。そのためか、妻、五百さんの聡明さと肝の座り方の方が私の中では印象的です。風呂上がりの素っ裸な状態で夫にいちゃもんをつけに来た破落戸に脇差を突きつける姿はおりょうさん(坂本龍馬の妻)を重ねてしまう。しかし、優善のダメンズぶりが酷い
2018/08/05
Willie the Wildcat
キッカケは『武鑑』。感能寺、掃苔の深みは、対象の深堀による時代とヒトの深み。本著ではもれなく五百。馴初めから始まり、客間新築時の奇策に、数度に渡る懐刀による立ち回り?!文字通り肝っ玉母さんですね。激変期も貞固・枳園の両番頭が後継・保の脇を固める。惜しむらくは失われた蔵書。興味深いのは、『経籍訪古志』と『留真譜』が日本人ではなく、支那人の手で刊行された点。背景の記載はないのが残念。登場人物も様々なれど、まずは抽斎の師・伊沢蘭軒。面白いところでは小錦八十吉。長編なれど、やはり『伊沢蘭軒』も読むしかないな。
2019/01/31
奥澤啓
鷗外の文章と親しむようになってから、どれだけの時間がたつだろうか。この作品は鷗外の最高傑作として、すでに評価が定まっている。格調高い文章に酔う。言うまでもなく、鷗外は尋常ならざる漢籍の素養の持主であり、みずからも漢文や漢詩を書いた人であった。漢字そのものにひじょうに拘った人であった。漢字の意味や語源を知人に尋ねる手紙も数多のこされている。鷗外が漢字に見ていたもの感じていたことを感受することは、われわれはできるのだろうか。それが不可能であれば鷗外を読んだことにならない。鷗外の言葉に肉薄し、その声を聞きたい。
2015/04/06
chanvesa
小さなエピソードが硬質な文章で連なる。抽斎と並ぶ主人公の、妻・五百は、森まゆみさんの『鴎外の坂』に出てくる鴎外の奥さんよりはインパクトが柔らかいが、それでもやはり強いお母ちゃんという感じはする。五百の晩年のエピソードで地動説を知っていたとか英語の本を読んでいたと知的好奇心が旺盛な人だったことが、知識人・抽斎やその他大勢の子供を束ねるパーソナリティの源の一つであったのだろう。湯上がりのため半裸で、懐刀をくわえ、熱湯をかけて詐欺師を撃退したという胆力ももちろんそうだ。しかし鰻酒(186頁)はおいしいのかな?
2015/10/12
松本直哉
感情を交えない簡素な文体でたどる一家の歴史は、それでも波乱に満ちている。何人もの夭折、ドラ息子優善の失踪、抽斎が詐欺にあいかけているとき風呂上がりの妻五百が裸同然で懐剣を手に追い払うところ、維新後の内戦で敵中をかいくぐって弘前に帰るところ。抽斎は真ん中あたりで世を去り、後半はやもめ五百の、血縁でない者や自分につらく当たった親戚をも温かく迎え入れ、夫の遺志を継いで子らの成長を見届ける姿が、ほとんど第二の主人公のような存在感で心に残る。時代の激動のなかでうつろうものとうつろわないものと。
2019/12/16
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