夜明け前 第1部(下) (岩波文庫 緑 24-3)
夜明け前 第1部(下) (岩波文庫 緑 24-3) / 感想・レビュー
翔亀
舞台である木曾路の馬籠宿本陣は藤村の生家である。主人公(半蔵)は藤村の父親である。しかしこれは単なる一地方ではなかったのだ。これほど幕末動乱期を語るにうってつけな場所はなかったとさえ思わせる。そこは江戸と京を結ぶ街道の宿。大名や飛脚だけでなく商人や勤王志士や討幕密使が、あるいは大名行列としてあるいは隠密で行き来するネットワークの結節点だ。複数の視点の情報が入る。半蔵はその宿の責任者(経営者)であり庄屋(村長)である。商人兼役人兼思想家兼地方政治家。複数の立場で考え行動する。この巻では家茂上洛から王政復古↓
2016/10/16
ころこ
新しい古を、人知の進み行く「近つ代」に結び付ける。古代に帰ることは自然に帰ることであって、自然に帰ることは新しき古を発見することである。この新しき古は、中世のような権力万能の殻を脱ぎ捨てる。中世は捨てねばならぬ。王と民としかいなかった上つ世に帰って、もう一度あの出発点から出直す。平田門人が行う近代性の議論が、ニーチェ、ハイデガーと変わらないことに驚く。網野史観に代表される中世ブームは近代、戦前に対する戦後のアンチテーゼだという構図が、幕末に議論されていたことからみた方が、現在の我々にはかえって良く分かる。
2023/04/18
きいち
ついに大政奉還へ。読むスピードが上がりそうなのを、どうどう、と抑えながら。◇印象的なのが、西へ向かった水戸天狗党や、役を越え英仏とのギリギリの交渉に臨んだ幕臣といった、馬籠を通り過ぎた人物のエピソード。共に、真剣に考え誠意をもって取り組んだことで苦境へと誘われた者たち、それが丁寧に丁寧に、共感をもって叙述される。主人公半蔵のほうがかえって突き放されているような。飯田を戦火から救ったことで称揚される伊那の国学者たちよりも、天狗党の巻き添えを喰って切腹させられた家老たちのほうが筆が温かい。これが藤村なのかも。
2015/02/25
寝落ち6段
「何を精神の支柱とし、何を力として生きて行くだろうか」倒幕志士や公家の動きが大きくなった時、絶対だった幕府が庶民の目の前で崩れていく中で、庶民は親子の情愛や地域の繋がりを支柱とし、力として生きていた。本来の国学は、古の日本人の心を知ろうというものだったのに、それが絶対的な指標に変貌した国学の徒。読者はすでに知っているが、これから待っている明治の世は西洋を取り入れる、国学の理想とは反対の世になる。日々の生活を見る庶民、王政復古を目指した倒幕家、ならば国学の徒は何を支柱に生きて行くのか。
2021/01/25
Masakazu Fujino
天狗党や長州征討の動きの中で、木曾の馬籠宿に生きる半蔵はじめ庶民の姿が描かれている。 とても面白く読んだ。
2021/08/30
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