高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫)
高野聖・眉かくしの霊 (岩波文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
鏡花の初期の代表作「高野聖」と、もう1篇「眉かくしの霊」を収録。読後は、幽明郷に二晩を過ごして戻ってきたような気分。いずれも、なんとも妖艶な美女の物語だ。もっとも、片や魔界のもの、また一方は幽霊なのだけれども。解説の吉田精一も指摘しているが、「高野聖」の背後には、上田秋成の「青頭巾」が面影としてあるだろう。ことに夜の闇の中から羊の声が聴こえてくる描写には、ただちにそこに想いを馳せる事になる。また、今では人が通わなくなった森の中で、蛭に襲われるシーンは始原的なまでの生理的な気持ち悪さを共有することにもなる。
2014/06/05
ベイス
たまに無性に読みたくなる鏡花。箸休め的読書の時間。言葉遣いと文体に独特のリズムがあって相変わらず没入してしまう。「これから蛙になろうとするような少年、こっちの生命に別条ないが、さき様の形相、いや大別条。」言葉遊び歌のよう。なんでもかんでも略したり省いたりの風潮だけど、「魑魅魍魎」なんて言葉を必死に手で書いてみることもたまには必要な気がする。74画?
2023/05/20
藤月はな(灯れ松明の火)
再読。何度、読んでも歯切れと玲瓏な文章にうっとりしてしまう。若かりし上人が出逢ったお嬢はキルケのような人物だった。しかし、獣=男達の浅ましさが却って、お嬢の妖艶さを清廉に見せているようにも思える。そして白雪姫や富姫といい、泉鏡花の描く高雅な女妖は皆、「望みのためなら他など、どうでもいい」という激しさを持ちながら信念や真心を貫き通す人間には優しいのが、好きだ。また、「眉かくしの霊」はお豆腐の美味しい描写や体調が悪くなったのは饂飩が生煮えだったからと思う所に、潔癖症でお豆腐好きな泉鏡花自身が透けて見えるよう。
2019/03/16
sin
先ほどまでの深山幽谷…身は街中にあれど心は山中にあった思いがする。里を越えて山道を抜け辿り着いた一軒家、出迎えた妖艶な婦人と陰々とした深山の気にあてられて過ごす一幕の夜、翌朝、身はそのままに旅立ったもののそれでも後ろ髪魅かれる旅僧の思いを断ち切る親父の昔語りは、たとい造り話としても、いっときの迷いの…ましてや僧籍の身にある己を戒める真心として身に染みたのではないだろうか?この物語には真実はあれど真相はどうの…という、やぼはお呼びでないと感じさせられた。
2015/08/20
Willie the Wildcat
世知辛い世の中で気付く、人の温かみ。『高野聖』では、家族との突然の別れで、自らの能力の活かし方を見失う。妖艶な世界に耽るのは、自身の存在意義の模索を示唆。旅僧の無垢な心底に触れ、涙は自戒と共に、元に戻れない悲しみと解釈。”猿”が、元は何者だったのかが気になるところ。一方、『眉かくしの霊』では、「家」を巡る悲しみが共通の根底も、利他・利己で差異。”水”が怨念を描写。鷺は代官婆でありお艶様、鯉は情けない男連中といった感。無論、境にとっては、単なるとばっちり。
2019/03/07
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