カインの末裔/クララの出家 (岩波文庫 緑 36-4)
カインの末裔/クララの出家 (岩波文庫 緑 36-4) / 感想・レビュー
Willie the Wildcat
『カインの末裔』は、表題が暗喩するヒトが生まれ持つ悪徳と因果応報を問う。場主との対峙がもれなく転機、現実への目覚め。農場に来た当初の夢の再興を信じたいと思わせる最後の場面、旅立ち。表題ほど宗教色は強くない感。一方、『クララの出家』は宗教色を前面に出し、揺れ動く主人公の心情を描写。夢と現実を、来世と現世にそれぞれ置き換えてみた。最後の最後にすすり泣くクララ。それがヒトであり、宗教を求める理由付けなのかもしれない。両作品の共通項がこの心情の揺れであり、ヒトたる所以。過程の違いも同様ではなかろうか。
2019/04/24
みっぴー
途中で挫折したスタインベックの『怒りの葡萄』を思い出しました。無慈悲な大自然により職も住居も奪われ、大地を放浪する一組の夫婦。運が悪いのか神の怒りを買ったのか、とにかく不運から逃れることが出来ない。信仰心篤い人なら試練と思って乗り越えられるのか、それとも信仰を失うのか…もう一作のクララの出家は、俗世を捨てて尼になることへの葛藤と希望を描いた作品。ジットの『狭き門』と似たテーマです。『カインの末裔』とは真逆の世界観で、幻想的な雰囲気。どうせならこの世でもあの世でも楽しみたいと思う私は、根っからの俗物。
2017/02/04
Miyoshi Hirotaka
瀟洒な別荘や三ツ星のオルベージュがある羊蹄山麓も百年前は荒々しい大地。そこの農場に新参の小作人として入植した仁左衛門が「カインの末裔」に相応しい荒ぶる性格を発揮し、過酷な運命に見舞われる。暴力、姦通、酒、賭博。秩序を破壊する一方で赤痢で子供が死んだり、持馬が骨折したりという不幸や不運に襲われる。それはあたかも自然の猛威が人間を通してそのまま周囲に拡散するようだ。真、善、美は一つもない。私からたった三世代前の北海道はこんなにも荒々しく、貧しかった。私もまた「カインの末裔」、心の中にの悪の血を受けついでいる。
2014/11/20
冬見
両作共にとてもよかった。「カインの末裔」落ちてきそうな曇天の空を、刺すような風の冷たさを、ありありと感じた。この地や場主など、抗うことすら許されぬ絶対的な強者の前に立つ、小さく無力な自分。小さな村の中では、その暴力性によって人々の口を噤ませてきた「強者」たる彼も、所詮は小さな世界に君臨する暴虐者でしかない。「クララの出家」しんとした厳かな決意を現実へ進行させてゆく少女。冒頭から一気に引き込まれた。クララという人間が凝縮されここに紹介されている。宗教画の如き処女の描写はその後の展開を暗示する。
2017/12/05
しんすけ
本書は、有島武郎の作品の真価を知る発端となった作品である。それまでは有島武郎を白樺派の一員として読むことを拒否していた。 いきなりだが『カインの末裔』の衝撃的な場面を以下に引用する。「彼れはいきなり女に飛びかかって、所きらわず殴ったり足蹴にしたりした。女は痛いといいつづけながらも彼れにからまりついた。そして噛みついた。」 その後、女はいったん逃げる。だが男が追いかけようとすると、「反対に抱きついてきた。」 これは耽美派の描く世界そのものでないか。武者小路は当然、志賀直哉も描くことが不可能な世界だ。
2022/04/10
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