近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1)
近代日本人の発想の諸形式 他四篇 (岩波文庫 緑 96-1) / 感想・レビュー
壱萬参仟縁
漱石の波紋は大きいようだ。野上弥生子、芥川竜之介、内田百閒、和辻哲郎。それに、学習院出には、有島武郎、武者小路実篤、志賀直哉、里見弴(とん)らがいる(19頁)。「日本の民衆は、自己放棄の仏教的衝動によって、可能な限り屈服し後退する。しかし、どうしても生きれないと感じたとき、彼らは爆発的に絶望的に抵抗する」(35頁)。現代では、原発再稼働反対デモもそうした類なのかもしれない。福澤諭吉はいかなる事業も失敗した場合を考えて大胆に実行した(68頁)。志賀直哉の考え方に近いようだ。
2013/08/14
lily
近代日本文学を知るなら、楽しみたいなら、強烈な電気ショックを浴びたいなら伊藤整は外せないはず。文壇の膿を出し切る仕事に成功した稀有な存在。紅葉のゴーストライター人生、消された芸術家作家、出版社の変貌、偽りの愛の輸入など、非常にありがたい暴露の嵐。
2019/06/16
とまと
「近代日本における『愛』の虚偽」キリスト教には、他人を同様のものと考えて愛せ、という考え方がある。一方、それに近い考え方として、儒教の仁、仏教の慈悲がある。前者には、絶対者の存在があり、他者への愛すなわち人間には成し得ないことを命令・強制する。つまり、成し得ないことに実在性を持たせているのが宗教の力であって、信仰がないときに「愛」という言葉を持ち込むことには「虚偽」がある。明治以来、我々は「愛」という言葉のみ輸入し、祈りや懺悔(キリスト教の救済性)は取り入れてこなかった。
2013/08/30
フリウリ
均一本からのサルベージ。以前に読んだ時は決してそうは思わなかったはずですが、例えば、西洋人は人間関係のなかで安らげるが、日本人は孤独のほうが安らげる、というような比較文化的な文章を読むと、特に21世紀以降の人間(人類)の平均化(平板化?)は凄まじく、そのせいもあってか本書でいう文学的な「発想の諸形式」は、日本語社会に限らない普遍性があるような気がしました。図式的によくまとまっているので、19世紀以降の文学を読む人、社会と文学の関係に関心のある人にとっては、参考になると思います。8
2024/01/13
colocolokenta
出版されたのが昭和28年。江戸末期からそれまでの文学史が述べられている。日本文学における私小説というものの位置づけが理解できる。藤村、太宰などは、「やるぞ、やるぞ」と読者が期待し、その通りの結末を迎えた、という話を聞いたことがあるが、そういうことだったのかと。近代日本人の生き方とまではいかず、オピニオンリーダーとしての近代日本人作家の分析として読んだ。 所詮文壇という狭い世界の中にしか生きていない、という点では、作家も、医者も、その他の世界に住む人間もみな同じである。
2013/06/23
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