小説の方法 (岩波文庫 緑 96-3)
小説の方法 (岩波文庫 緑 96-3) / 感想・レビュー
lily
冒頭で100冊弱の日本、世界文学の読書を宿題にしておきながらもこれほど気高い本が当時は10万冊も売れたことにびっくり仰天。めくるめく展開をもって緻密で的確な文士の心理分析、小説解体は一生の時間をかけてもよい最も関心ある実験であるのに、コンパクトに濃縮還元されていて幸せな限り。小説とは、散文芸術を通して、与えられた環境と気質の中で最もよくエゴを確立する方法である。逆にエゴなしで書かれた小説に面白さも芸術も見出せない気がしてならない。
2019/08/04
有沢翔治@文芸同人誌配布中
日本の文壇はギルドの要素があり、身の上話として発達しました。だからフィクションよりもむしろ私小説が文壇の中心になってきたのです。西洋ではフィクションが発達してきましたが、虚構を通じて自分の醜さをさらけ出すという役割を果たしてきました。http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/51490508.html
2017/09/13
Happy Like a Honeybee
近代の革命思想と小説の発想は双生児。 古今東西の小説を研究し、日本文学の立ち位置について解説した一冊だが、70年経過してもこの本は有効である。西欧の文学理論史に類比するなら、バフチンの位置とされる。戦前の日本は二流国と揶揄されるも、文学だけは世界水準に遅れていなかった。小説は散文芸術を通して、与えられた環境と気質中で自我を確立するもの。
2017/11/19
てれまこし
私小説ばかりが多いのは日本の作家の経験の狭さのせいだとばかり思っていたが、ここで思わぬ反論にであった。論理的に思考する自我を互に認め合い、合理的に関係を築いていく場が実社会なかった日本においては、文壇のみが自我を発展させる避難所であった。小説家になるということは第一にいかに生きるかという問題であった。高級官僚の柳田がこんな社会からの逃避者と付き合いつづけ、近代文学の誕生に立ち会ったのは奇妙だが、民俗学とは、この社会と自我をどう和解させるかという答えであり、小説を書くこととは別の人生問題の解決でもあった。
2019/06/07
壱萬参仟縁
小説が何故、どういう風に人生の重要問題と関係があるか(7頁)。小説家が小説にとって同であるかは、文学そのものの根本問題(23頁)。人間として小説はどうなのか。ドストエフスキイのエゴの内的動機の恐ろしさ(73頁)。何か作品を読む必要があると思える。人間のエゴは醜悪なものだという一言(75頁)。同感。そうではあるが、芸術はエゴと環境の調和、照合美(77頁)でもあるという。人間把握の困難さ。徳田秋声の「仮想人物」では女が痔の手術で患部が・・・というのはリアル(110頁)。痛々しさ牡丹の如しだと。痛い美しさの実。
2013/04/24
感想・レビューをもっと見る