山のパンセ(新選) (岩波文庫 緑 148-1)
山のパンセ(新選) (岩波文庫 緑 148-1) / 感想・レビュー
獺祭魚の食客@鯨鯢
穂高岳山荘の宮田八郎さんも座右の書としていたそうです。深田久弥「日本百名山」が山登りブームを作ったとしたら、本書は単なるブームでない登山を提示してくれました。 あまりにも多くの人が押し掛け、山の神への畏敬の念が薄れたのではないかと危惧していたこともあり、コロナ禍は立ち止まって原点に還るよい機会だったように思います。 私の友人は40年近く前に冬の穂高で雪崩に遭い亡くなりました。何年か前に穂高神社へお参りし霊を弔いました。美しい姿を見せる山の女神はその感動と引き換えに黄泉の国へ連れていこうとします。
2020/08/09
翔亀
少しずつ山や海や診療所で読み続けた。パスカルが出てくるわけではないが著者はパスカル研究者。山行記が57編。その登山は本格的だ。読後感は、嫉妬。なぜ、こうもこの人に対し、これほどまでに鳥が囀り、草花が出迎え、岩石が語りかけるのか。いや、それは私の知識が足りないだけだ。それはいい。岩を登攀し、雪山をスキーで滑り、幾晩でも野営すること自体は、別に体験できなくともいい。なぜ、このように山を語れるのかに、猛烈に嫉妬を感じる。難解ではないが、その詩的といってもいいエッセイは実は追体験不可能なのかとさえ思えるのだ。
2015/09/26
あきあかね
「山は冬になると、夏や秋の一種の、情熱的ないきれをさっぱりと棄て、生命のぬくもりをもっと薄く、しかももっと鋭く生きはじめる。···頬に痛い横殴りの風と雪を待ち焦がれる心を、山を愛する人々は黙って抱いている。」 『山のパンセ』という表題の通り、山をめぐる様々な随想が収められている。冬の穂高を登る息子を案じる想い、一夜の礼として無人の山小屋に置いていったマッチ、夜の山の天幕でラジオから偶然流れ出たモーツァルトの繊細な音色。具体の山の名が出てくるものもあれば、何処の山とは分からないものもあるが、⇒
2021/01/10
双海(ふたみ)
詩人・哲学者串田孫一(1915~2005)の、山をめぐる随想集。ページをめくると、独特の詩的で平易な文章で綴られた、山靴やスキーで野山を逍遙する著者の世界がひろがる。雪を待つ高原の一本の枯れ草まで魅力的な表情を浮かべている、著者自身が選び再編成した決定版。(カバーより)
2015/06/20
あや
母は大学でフランス文学を学んだ。戦争中文学者はさまざまな道を選んだ。戦争を肯定せざるを得ない者、戦争に抵抗を示す者、反戦を訴えてしょっ引かれる者・・・串田孫一は山のエッセイを書いてやり過ごしたと母に聴いた。山とはそんな戦争に苦しむ文学者の救いの道であった。そんな側面を知りながら読むと「山のパンセ」とはなんと苦しい魂の救いの細い細い光を手繰る道であったことか。
2021/10/20
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