漱石書簡集 (岩波文庫 緑 11-13)
漱石書簡集 (岩波文庫 緑 11-13) / 感想・レビュー
kaoru
漱石の書簡はそれ自体が文学だ、と聞いた。膨大な書簡のなかから選んだ158通。子規、鏡子夫人、寅彦、三重吉、小宮や森田らに宛てられたそれらは漱石自身を語るこの上ない資料だ。留学時代の鬱屈、森田草平への面倒見の良さ、修善寺の大患前後と,漱石の人生が書簡を通じて俯瞰できる。若い芥川に寄せた手紙がとりわけ印象的だし,有島生馬や実篤などの文学者にも率直な思いを曝け出している。鬼村元成や富沢敬道など禅のお坊さんとの晩年の交流も興味深い。もっと長生きしたなら『明暗』を完結されることができただろうと思うととても残念だ。⇒
2021/03/26
Y2K☮
著者に惹かれる理由が見えた一冊。真面目で率直で気難しい。時に憂鬱、時にユーモラス。云うべきであれば友人にも厳しい意見。地位には頓着しないが自尊心は高い。文学で社会と戦うという壮大な夢を抱く一方、大学を辞めて専業作家になる際の収入面への配慮も抜かりない。基本は厭世家だが親分肌でもあり、目下の者への助言には本心からの気遣いが感じられる。文学博士を拒む頑なさが昇給を断る「坊っちゃん」を彷彿させるなど、随所に作品の登場人物がちらつく。特に芥川&久米への手紙は「こころ」の先生そのもの。漱石は芥川に何を期待したのか?
2016/01/02
佳音
夏目漱石の書簡集なんて、国文学専攻でもない限り手に取らないかな。が、読みやすいのだ。彼独特のユーモアは現代にもウケるので(私見だが)まさに書簡集はうってつけ。借金を頼む相手にΓない。自分の財布になにがしか入っていたらと思うが空だ。家賃で困っているならほっておけ」など、おいおい漱石先生(笑)って感じ。 頼み事、苦情の書簡もどことなく人柄(てか気い遣い)が滲み出て相手は悪い気がせぬ。彼流処世術も学びがいがある。一転文学となると、自然主義は自然の二文字にあらずとバッサリだ(苦笑) そういう対比がまた味わい深い。
2015/02/21
やまはるか
明治22年(1889年)から大正5年(1916年)までの書簡。ロンドン留学時代の妻とのやりとりは「年始状、筆の日記、倫君の日記いずれも披見致候。右は去る2月20日に着致候」年始状が年明け50日後に届いた。届かない手紙もあったようで、漱石の苛立ちが随所に示されている。小学6年生が「心」の先生について訊ねたらしい返事に「先生というひとはもう死んでしまいました。名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です。」「子供がよんでためになるものじゃありませんからおよしなさい」読者などに宛てたものが面白かった。
2024/04/29
ころこ
脚色されている『太平記』や『太閤記』よりも、書簡の方が歴史的資料としての価値が高い。漱石を歴史的にみると、近代の言葉をつくった資料として、小説よりも書簡の価値が高いとやや強引に主張してみます。正岡子規との書簡では、現在では使用されない一人称「余」が使われています。それだけでなく、同一の書簡中に、「余」「小生」「僕」と異なる呼称の一人称が使われています。これに『吾輩は猫である』の「吾輩」と『坊ちゃん』の「おれ」が加わり、時代を下ると「私」が多く使われはじめます。「私」までの試行錯誤が書簡からは読み取れます。
2020/03/17
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