パサージュ論 ((三)) (岩波文庫 赤 463-5)
パサージュ論 ((三)) (岩波文庫 赤 463-5) / 感想・レビュー
ころこ
19世紀が個人としては近代人として反省的意識をとりつつ、集団的意識はますます深い眠りに落ちる。この集団はパサージュにおいて沈潜していく。著者は人間の営みの無意識が形式として残るのが建築だと考えていたというのが分かる。読書という行為は著者の文章から無意識、特に葛藤を探っていく行為であるが、それは文章と文章の関連において見出される。本書の断片は文章間の葛藤が無く、半ば忘却されるので、すこぶる読み易い。読むのはセラピー的な効果があると思うが、本書の「読む、忘れる」には、それ以上の効果があるのではないだろうか。
2023/08/03
壱萬参仟縁
図書館新刊棚より。資本主義は、それとともに夢に満ちた新たな眠りがヨーロッパを襲う一つの自然現象であり、その眠りの中で神話的諸力の再活性化を伴うものであった(23頁)。労働者から見れば、パサージュは客間である(112頁)。芸術家や詩人が一番仕事に没頭しているのは、一番仕事が暇そうに見えるときのことが多い(189頁)。マルクスは経済と文化とのあいだに因果的連関を作り上げた。文化が経済から成立していることではなく、経済が文化の中で表現となっていることこそ叙述の課題(202頁)。
2021/10/21
かふ
第三巻は、k~pまでのキーワードについて、ベンヤミンのメモ書きと書物からの引用で成り立っています。パーサジュというのは、アーケードの中の遊歩道でその両脇に出店が並んでいる感じです。正式なブランド品じゃなく、バッタモンのカラフルさ。それはベンヤミンの引用が名著によるものではなく、ただベンヤミンの関心をよぶものを揃えているからです。以下、https://note.com/aoyadokari/n/n61859bfea227
2022/04/01
やまだてつひと
遊歩者の章が印象に残った。ある程度の哲学書を読んで思うのは自己/他者の内面について、徹底的に思考するが、街全体を思考の対象にするというのは、私の思考法と似ていて良かった。
2024/08/31
ターさん
第三巻。パサージュには、娯楽施設としてパノラマが存在していた。「当時、パノラマ、ディオラマ、コスモラマ、ディアファノラマ、ナヴァロラマ、プレオラマ、ファントスコープ、---」などの名称は延々と続く。それぞれがどのような違いがあるかは不明だが、当時の先端のエンターテイメントであったことだろう。風景、風俗、神話などが目の前で広がっていた。ボードレール曰く「私のもっとも大切な夢が、芸術的に表現され、悲劇的に凝縮されて、見出されるからだ。これらのものは、まさに贋物であるからこそ、限りなく真実に近い」[Q4a,4]
2022/06/29
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