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パリの憂愁 (岩波文庫 赤 537-2)

パリの憂愁 (岩波文庫 赤 537-2)

パリの憂愁 (岩波文庫 赤 537-2)

作家
ボードレール
福永武彦
出版社
岩波書店
発売日
1966-01-16
ISBN
9784003253724
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パリの憂愁 (岩波文庫 赤 537-2) / 感想・レビュー

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Gotoran

晩年のボードレールが見た街の様子やその気配、聴いた雑踏の音、年老いた香具師や寡婦たち、群衆や狂人や貧乏人たちを、また永久に変わることのないパリの街の様子や気配、聴いた雑踏の音をうたった散文詩50篇。訳者福永武彦の甘美で慎ましやかな日本語で19世紀のパリの喧騒が甦ってくるような上手い訳。「注釈」も細部にまで言及されていて、また解説的ノート」は、すぐれたボードレール論であると同時に、秀逸な散文詩論ともなっている。実に興味深かった。

2023/09/17

藤月はな(灯れ松明の火)

大学図書館の御馴染みとなった岩波文庫コーナーを散策中、福永武彦訳という文字が見え、惹き付けられた所、見つけました。散文詩なので物語的な語りの中に綴られる現実の無常さや人間の偽善を透けさせています。特に悪魔を模した「誘惑」の自分を律する心があったために生き続ける限り、自分を苦しませる泥沼のような思考からの回避に身を任せられる機会を永遠に失ってしまったというのが印象的でした。

2012/07/13

福永武彦訳・ボードレール小散文詩集。五十篇の散文詩はボードレールの晩年の傑作。そしてこの小散文詩を読むとボードレールが後の福永武彦に与えた影響がよく分かるような気がする。福永の小説の根底に眠る愛と死と孤独、生と死と時間、そして冥府、深淵、憂愁といったものが、ボードレールの一篇と微妙に交錯する。福永曰く、「この散文詩は音楽的な「私」の滲み出た詩的告白である。諷刺、皮肉、嫌悪、絶望、詠嘆などの旋律が響かないということがない。」

2015/09/25

oz

初読。福永武彦訳。ボードレールがこの詩集を上梓してより、詩と韻文は同義語ではなくなった。散文詩の誕生である。定形から離反した自由詩は現代まで(特に戦後以降)に「詩」と呼ばれるカテゴリを大きく拡大し(音楽、映像、オブジェクト、あるいはマンガですらそう呼べる)その中で「現代詩」はなぜ自分を詩とカテゴライズすることが許されているのかという自己言及を要求される。何故ならば原則的には定形を捨てた瞬間、詩は詩ではなくなるからだ。

2010/10/05

かみしの

〈僕の好きなのは雲さ〉〈常に酔っていなければならぬ〉〈何所でもいいのだ!ただこの世の外でさえあるならば!〉こういう態度はファッションメンヘラとか新型鬱とかピーターパン・シンドロームとかいわれて馬鹿にされるのかもしれないけれど、いいんだ、ボードレール的感性ってかっこいい言い訳の道があるんだから。19世紀の近代化していくパリに囚われているからこそ、こういう詩がうかんでくるのだろう。雲を愛しながら時間を殺そうというのは、二律背反だと思う。

2015/08/11

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