法王庁の抜け穴 (岩波文庫 赤 558-3)
法王庁の抜け穴 (岩波文庫 赤 558-3) / 感想・レビュー
遥かなる想い
ジイドによる ひどく風刺の効いた 物語である。 背景にあるのは 敬虔なカトリックへの反撥なのだろうか? ラフカディオを巡る人々は 皆 怪しく、 不審な人々である。ジイドは 本作品で何を 描こうとしたのだろう? 正直 大げさな言い様と 古めかしい表現から、 読んでいて 入り込みにくい作品だった。
2018/07/16
ケイ
サスペンス的手法を借りて、ジイドが自身のカトリック機構への懐疑心を書き記したのだろうか。敬虔なカトリック教徒であるほど、宗教や聖書を突き詰めて考えるほどに、教皇庁は正しくカトリックの精神を実践してはいないと憤慨し、それを批判するためにどうにかする形で声に出したかったのだろう。キリスト本来が説いたものは、障害者に対して寛容であり、またそれ故に治癒力まで持つものではないのか。それとは別に、たんにサスペンスとして読んでも、その書く手法はなかなか面白く思える。読後に改めて前書きを読むと意味深い。
2017/01/01
扉のこちら側
2016年958冊め。【228/G1000】著者が茶番劇と分類した作品で、多くの人物が脈絡もなく登場してくるので混乱した。作中時間は19世紀で、「ローマ法王が秘密結社に誘拐され監禁されている」というデマによって、高額な金品を手に入れようとする詐欺団が暗躍する。ジッドはカトリックに批判的だったとのことだが、宗教と障がいというものに強い関心を持っていたことがわかる。
2016/11/04
NAO
カトリックとフリーメイソン。敬虔すぎる信仰心とご都合主義の信仰心。信仰心を逆手に取った詐欺。宗教心とはどういうものかを問いかけたこの作品は、けっこう深い部分をえぐり出しているのに、深刻な話ではなくソチ(諧謔的茶番劇)として描かれている。ジイドはカトリックに対してとても批判的だったそうだが、彼はキリスト教そのものが茶番だと考えていたのだろうか。『狭き門』を読んだときには、敬虔なキリスト教徒だと思っていたのに。
2016/11/12
ピンガペンギン
作家自身がソチ(「茶番劇」)という区分に入れたとあり、最初は、戯画的な登場人物が出てきて娯楽小説のようだと思った。ジッドの父親は南仏出身。田舎の別荘でよく遊んだとあった。ポーというピレネー近くの町で植物学者の父親に植物の名前を付けられていじめられた女の子は、成長して優しい青年と結婚する。純朴で信じやすいその人はのちにひどい運命にあう。登場する作家は、ジッドが育った環境の代表なのか「安逸しか望んでいない」人物。カトリック教会を思いっきり茶化しているのはもちろん、読者である自分も茶化されている→
2024/03/19
感想・レビューをもっと見る