病牀六尺 (岩波文庫 緑13-2)
病牀六尺 (岩波文庫 緑13-2) / 感想・レビュー
yomineko
カリエスの痛みをモルヒネで抑えながらよく毎日記録しておられたと感動。絵画にも造詣が深く自身でも果物などを描いておられるのは有名。ラジオが無かった時代、母や妹に新聞を読んで貰おうとするが当時女性には教育が行き届いておらず、それを嘆く。あるお嬢様が来てとても気に入ったとの事なので、あ!これは!と思ったがお嬢様とは絵巻の事だった!短い生涯を生き抜き、我々に多くの感動を与えてくれた子規。実は高校の時に読んで意味不明だったのが今回はかなり解読出来たかと。再読で良さも倍増。畢竟、鼎談などの言葉が普通に出て来て驚く。
2023/01/22
藤月はな(灯れ松明の火)
病床に就いた正岡子規が最後に書いた新聞掲載の随筆。病牀六尺の世界の中で写生に勤しみ、短歌を詠んでは批評し、画集に心をときめかせつつも俗気の強いものに対しては苦言を呈し、社会の変化に目を見張る。その目まぐるしくも豊饒な思考は六尺という世界に広がりを見せていた。彼が好奇心旺盛な人物であることを伺わせる。その中でも選出された短歌に対し、「表現が変」などとこき下ろしつつも時間が経つと「なんだか良いものと思えてきた」という所や有名な「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の表現に恥ずかしがるなどは人間味があってとても良い。
2022/06/10
みつ
子規最晩年(といっても34歳)の新聞に連載された随想集。もはや自ら筆を手に執ることすら困難になったため口述筆記によるものが多いとのこと。日によって口語文と文語文が入り混じり、岩波文庫の表記基準(新仮名遣いを基準としつつ原文が文語文の場合は旧仮名遣い)と整合させるのは苦労しただろう(実際は、口語文のものも合わせて旧仮名遣い)。そのせいもあってか文はますます融通無碍になってくる一方で、一日を生きることの切実さもつたわってくる。自分が見たいものの列挙(十四、5月26日)。広重が浮世絵を脱していないと遺憾の意➡️
2023/11/10
chanvesa
「余に珍しき話とは必ずしも俳句談にあらず、文学談にあらず、宗教、美術、理化、農芸、百般の話は知識なき余に取つて悉く興味を感ぜぬものはない(82頁)」とあるように、絵画や伝統芸能、特に食べ物など、多くのことに関心を寄せたからこそ、深刻な病を長年抱え苦しみながらも、生きたのだろう。大昔の話だから、近眼の人は物わかりが悪い(94頁)とか、闘病の慰めのために女性が教育を受けるべき(124〜126頁)など、今の感覚からはむちゃくちゃな議論はご愛嬌。
2022/12/03
糸くず
子規、最晩年の随筆。長く苦しい闘病生活の中で連載していたこともあり、精神的・肉体的苦悶やそれとの折り合いのつけかたについて頻繁に書かれているが、悲愴感はあまりない。それは短さが生む軽さもあるだろうが、やはり書くことが生きること、生の実感そのものだったからだろう。生と死の瀬戸際にあっても、重々しい覚悟でもって文学に向かうのではなく、身辺雑記や時事への論評、芸術論を淡々と綴っていくことに集中している子規はどこか明るい。
2022/04/01
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