沖繩ノート (岩波新書 青版 762)
沖繩ノート (岩波新書 青版 762) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
1963年の『ヒロシマ・ノート』、そして1970年の本書。これらの2冊は大江健三郎の中で深く通底する。すなわち、その1は、大江がそして私たちが戦後世界をどう引き受けるかということにおいて。そして、その2は(1とも関連するが)「核」以降の世界にどのように向かい合うのかという意味において。それがヒロシマと沖縄が私たちに突きつける問いである。大江は真摯にそれに応えようとする。「このような日本人ではない日本人へと自分をかえることができないか」と煩悶し続けながら。核戦略において日本はアメリカの防波堤(=捨て石)⇒
2023/06/22
Shoji
沖縄戦が1945年、この本の上梓が1970年、沖縄返還が1972年。で、今2016年。 戦前も戦中も戦後も政治家(軍隊を含む)は卑怯だ。 犠牲を払うことは全てを沖縄に押し付けてきた。 沖縄をめちゃくちゃにして来たのは北緯27度線より北の住人だ。 それは今でもそうだ。 今でも北緯27度線より北の安全な場所に身を置き、好き勝手なことを言っている。 好き勝手でいいから、お願いだから、不幸なことは20世紀で終わりにして下さいね。 1970年に大江健三郎はこんなことをこの本に書いていた。
2016/07/08
おさむ
1972年の沖縄返還直前の現地及び本土の社会の空気を伝える論考集。哲学的かつ文学的ながら、この問題にたいする大江氏の「熱い思い」が感じられます。戦後70年たった今も「限りない異議申し立て」が続く沖縄。差別や貧困、米軍基地等多くの苦しみや痛みを埋め込んできたその現代史。知らない登場人物も多く、自らの勉強不足を恥じるばかりです。
2016/01/27
燃えつきた棒
《「これからはサルトルを読もうと思います」。大江作品の装丁を担当した画家の司修氏は『晩年様式集』の完成時にそう告げられた》(〈大江健三郎「次はサルトル」 晩年の創作意欲、臆測呼ぶ〉2024年6月15日/日経新聞)と言う。/ 1970年に出版されたこの短くて晦渋な本を半世紀遅れで読んで感じるのは、「戦後民主主義」への大江のアンガージュマン(自己拘束)※だ。/ ※アンガージュマン(自己拘束): 現にある状況から自己を開放し、あらたな状況のうちに自己を拘束すること。一般には「社会参加」とされるが、→
2024/09/18
かふ
大江健三郎が沖縄を訪問したのは米軍の占領地時代なのである。そのことが大江健三郎の文学にも大きな影響を与えたのだ。それは戦後民主主義の隠蔽されたものが沖縄にあったからだ。この事実を知ったことにそれまでの戦後民主主義の日本という見方が反転したのかもしれない。日本=沖縄=米軍の関係性なのだ。それを放置してきたのが沖縄の基地問題であり、それを日本の問題と受け止められない我々なのである。https://note.com/aoyadokari/n/n659a88efa315
2023/07/08
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