千利休―無言の前衛 (岩波新書 新赤版 104)
千利休―無言の前衛 (岩波新書 新赤版 104) / 感想・レビュー
キジネコ
箒を持ってレレレのおじさんしてましたら「利休の庭」の逸話が不意に。近頃の執着、珈琲も茶なら作法やしつらえと無縁と嘯くのは詰まらん事と連想が続き、宗匠さんに学ぶ桃山文化もエエかも知らんと調子に乗って本書に手出しをいたしました。茶を語るは本分に非ずと原平さん。しかし形式と前衛で価値観の無限螺旋に思いを致し、多弁饒舌の秀吉と利休の豊穣静逸のヒリヒリする様な緊張を味わい、「私が死ぬと茶が廃れる」の言葉を残し、従容として受け入れる死と引き換えに手に入れる利休の個としての完成の姿を空想すれば、既に桃山の虜に ⇒続く
2015/11/07
mazda
千利休が切腹を迫られた理由はよくわからないですが、家康、正宗など、当時の東側の実力者たちが利休に惚れこんでいたことから、秀吉が焦ったという説があるようですが、これは非常に興味深いです。利休だけではないですが、このあたりのことをきちんと理解するために、平安、安土桃山の流れをもう少しきちんと勉強したいと思いました。
2015/04/08
壱萬参仟縁
今年の通訳案内士1次試験の予想テーマは、和菓子や陶器。関連する茶も視野に入るので借りた。適宜写真や対話があり、緩急のある好著。無口な芸術、茶道(17頁~)。想像の藝術なのだろう。所作、作法、一連の抹茶が出されるまでと、いただくまでの振る舞い。座禅もそうだが、僕は肥満のために正座は苦手だな。正座できない人のための所作も求められるのかもしれない。懐石料理の後のお茶(60頁)。空腹ではこたえる濃厚さ。東洋のヴェニス堺も出てくる(117頁~)。心を落ち着かせる。その茶室があるのに戦が後を絶たないのはなぜなのか?
2013/08/12
yutaro sata
私が死ぬと茶は廃れる。薄暗い宇宙たる待庵で利休は水をかきまわす。そこへ赤瀬川さんの目が入る。利休は光に気づいたか気づいていないか。一期一会の場所で。
藤井宏
茶の湯が形式としてだけ固まっていく風潮に利休は嘆く。形式美に身を潜めることの快感がある。「侘びたるは良し、侘ばしたるは悪し」と利休は言った。赤瀬川さん自身の「路上観察」と利休たちが「歪んだり欠けたりした茶碗を”いい”なんていいだした気持ち」なんて、同じなんじゃないかという。トマソン探査の「トマソン」って何か偉い人の名前かと思ったら、さっぱり活躍できない助っ人外国人に由来するとは。利休って魚屋さん(魚問屋)だったんですね。映画も見てみたいです。
2024/11/10
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