小説の読み書き (岩波新書 新赤版 1024)
小説の読み書き (岩波新書 新赤版 1024) / 感想・レビュー
ばりぼー
近現代日本文学の大家たちの作品を、小説家ならではの視点で丹念に読み解くユニークな文章読本。川端康成『雪国』の地面でも、あたり一面でも、見渡す限りでもない「夜の底」という隠喩について、永井荷風『つゆのあとさき』の「女給の君江は」という読者を子供扱いした書き出しについて、中勘助『銀の匙』の読点なしの息継ぎ困難な音読に不向きな文体について、樋口一葉『たけくらべ』の「廻れば」という推進力を持った動詞での書き出しについてなどなど、重箱の隅をつつきまくった(笑)楽しい分析に、目から鱗がボロボロ落ちました。
2018/03/07
ハイランド
現役の小説家が、大家・文豪と呼ばれる小説家の文体を繙く。文体と一言で言うが、日頃自分が小説を読む時は読み易いか読みにくいか、好き嫌いでしか感じていないものを、語彙や言い回し、人称の使い方、果ては読点の打ち方まで分析し、作者の意図を推察する。大胆な試みであり分かり易い仮説である。なるほどプロはこう小説を読み込むのかと感心することしきり。(でも実際はこういうこと書かないよなあ)最も面白かったのが10年前の自著の分析である。ある意味自虐的でありこういう自意識過剰が、小説家を小説家たらしめている資質であったか。
2015/06/12
ロマンチッカーnao
凄かった。鳥肌がたった。小説家、佐藤正午さんの名作の読み解き。こんな読み方があったのか。という驚きの連続。特に太宰治の『人間失格』の読み解きはゾクっとしました。驚きを通り越して怖かった。何度も読んでる作品なのに、こういう読み方があったのか。そして、その読み解きは正しいのか。再読したくなりました。もし、佐藤さんの読み解きが正しいのであれば。太宰治って、僕らが知っているよりももっとすごい文章家だと思いました。文学の深さを思い知る一冊です。ほんまにすごい本でした。
2018/04/04
ばりぼー
再読。林芙美子『放浪記』の「いまは切ない私である」のような「何々している私だ」という、一人称の私の目に見えるもうひとり別の私が存在する約束破りの視点の切り替え、反転について。太宰治『人間失格』は、小説家の「私」が大庭葉蔵の顔写真と手記を手に入れて、手記の前後にコメントを付して発表したという設定で書いているが、「私」のコメントと手記の文体の読点の打ち方の類似性から、太宰が「私」=大庭葉蔵を意図的に示している可能性を読み取る分析など、徹底して細部にこだわる、作家ならではの鋭い指摘の数々に身震いしました。
2018/10/28
ヨクト
どうも読書は好きだが純文学というジャンルは苦手で、なかなか手が出せないでいる。本書は夏目漱石、太宰治から三島由紀夫、谷崎潤一郎まで、文豪たちの小説技法を考察したものである。奇怪でイメージに残る物語もあるが、その技法によって記憶に残る物語もある。そこに気付く読書ができたら、純文学も面白いだろうな。時代の篩にかけられてなおも人気を保つ古典文学には、わかる人にはわかる魅力が備わっているのだろう。それをたのしむことのできるひとにわたしはなりたい。
2013/09/17
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