『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書)
『教行信証』を読む――親鸞の世界へ (岩波新書) / 感想・レビュー
KAZOO
教行新証については読んだことがないので、この本をよんでそのうちに本体にとりかかろうかと思います。歎異抄はよんでいますが、かなり歯ごたえが違う気がします。。山折先生はそこのところを比較的分かりやすく説明してくれているので、普通の仏教解説書とは異なっていて楽しく読めます。ただかなり好き嫌いがでるのかもしれません。本当に仏教を勉強しようという方には不満が残るかも知れません。
2015/10/13
Gotoran
難解な『教行信証』に対峙して50年、その途中で最終巻「化身土」にある「懺悔三品」を目にして鳥肌が立つような衝撃を受けたと云う宗教学者の著者が、70歳代で『教行信証を読む』ことを通して親鸞思想の核心に迫る。時代考証、史料等を引きながら、『教行信証』という表題の意味とは?総序の他に何故「信」巻にの序があるのか?父王を殺した悪人阿闍世の救済に拘った理由とは?「非僧非俗の愚禿」への拘りとは?・・恰も謎解きの如く、解釈・論考が進んでいく。非常に読み易く、概要が掴めた感あり。次は現代語訳を読んでみよう。
2016/01/22
ホシ
「悪人往生の是非」に特化しながら、山折氏独自の視点から『教行信証』を読み解いていく。多くの知見を得られるが、文章にやや“癖“あり。山折氏が『教行信証』について「論ずる」のではなく「語る」感じ。山折氏のフィルターを通して『教行信証』を読んだ気分だ。とはいえ、改めて親鸞が第十八願の除外規定問題に真摯に取り組んだ有様を知る。末法のただ中にあって仏道を歩む者としての覚悟と決意を、熱く記す親鸞の姿が『教行信証』からは浮かび上がってくるに違いない。私も原書にあたって、その姿をいつか切実に味わってみたいものだ。
2017/09/03
moonanddai
「教行信証」のアウトラインについて見えかけてきたような気がします。教行信証は、いわば「悪人正機」を理論武装しようとするものでしょう。「大無量寿経」で除外された「極重悪人」も救われるべきである、と考える親鸞の心をつかんだキーワードは「懺悔」と「善知識(指導者)」。これにより悪人が救われる、というより「これがないと」悪人は救われない、ということなのかもしれません。これはいわゆる「本願ぼこり」つまり阿弥陀如来へ「甘え」という考え方があった時代に対する一つの「答え」なのだと思います。
2018/07/25
かず
章を進むごとに原典(教)、実践(行)、信心(信)、悟り(証)について親鸞の主張を読み解いていきます。師の法然に専修念仏を選択させる契機となった無量寿経において、救われない身とされた五逆(母殺し、父殺し、聖者殺し、仏の身体の毀損、教団の破壊)と誹謗正法(仏法を誹謗する)の者たちがいかにして救われるのか、ということを、観無量寿経に出てくるアジャセ王の父殺しを題材に、大般涅槃経も引用しながら検証していることをつぶさに解説しています。五逆誹謗の徒が救われるには「良師を持つ」ことと「懺悔」が必要だそうです。
2016/05/23
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