三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書 新赤版 1852)
三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書 新赤版 1852) / 感想・レビュー
佐島楓
三島の評伝。実は特定されていない生家の場所など、記述が詳細にわたっており、興味深く読んだ。三島は、人生をあまりにもまっすぐ生きすぎた、しかも死のために生きすぎたひとなのではないだろうか。かれの思想はおそらく常人には理解できなかったろう。ひとに理解されたいという欲求より、自分で自分を理解したいと希求するほうが強いタイプの人間じゃなかったかと少し思った。もう誰にもわからないことだけれど。
2020/12/09
とくけんちょ
今までに数多くの評価や研究がされてきた三島由紀夫。新しい切り口はということで、悲劇的、身を挺すると2つのキーワードから着想を得て、オリジナリティを出そうとしている。三島文学は多種多様であり、その生涯もある意味、蠱惑的。作品は商売で、思想は死をもって貫いた、これには他人がどうこう評価できるもんじゃないような気もする。
2021/01/07
パトラッシュ
三島由紀夫の生涯をたどりつつ、置かれていた状況や心境を探り作品成立のプロセスを明らかにしていく。評価されぬことへの不満が『仮面の告白』を生み、『金閣寺』の結末はボディビル効果が関係し、『鏡子の家』の不評から社会性の強い諸作を書くに至るなど。外部要因で文学的方向性は変遷したが、根本にあった「悲劇的なもの」「身を挺している」感覚が研ぎ澄まされてクーデター計画や自決に至る精神の昂揚が起こったとみる。こんな考えに囚われていたのなら、さぞ生きにくかったに違いない。あるいは三島の死は、生きにくさからの脱出だったのか。
2020/12/13
ぐうぐう
「前意味論的欲動」を通して三島由紀夫の作品と生涯を解読する試みの『三島由紀夫 悲劇への欲動』。佐藤秀明は「前意味論的欲動」を「言語化し意味として決定される以前に遡ることになる体験や実感に表れた、何ものかに執着する深い欲動」と説く。キーワードは、「悲劇的なもの」と「身を挺する」。この二つの言葉を晩年の評論『太陽と鉄』に見つけた佐藤は、その二十年前の『仮面の告白』にも出てくることから、論を始める。三島の生涯を追いながら作品を時系列に分析する手法は、新書という媒体も手伝って、とてもわかりやすく、(つづく)
2021/01/12
Mark
著者は現三島由紀夫文学館館長。遺された作品群を繙きながら、生い立ちから壮絶な最期まで、彼の短かった一生を辿ります。特に、遺作となった『豊饒の海』については、比較的紙幅を割いており、この作品の重要性が読み取れます。近いうちに、山中湖の文学館を訪れて、自筆原稿などを見て、昭和という激動期とほぼ重なる彼の足跡に触れたいと思いました。
2021/09/25
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