定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫 学術 202)
定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫 学術 202) / 感想・レビュー
フム
読書会で読んでいる『精神の歴史』の理解を深めるために読んだ。夏目漱石は「文学とは如何なる必要があって、此世に生まれ、発達し、退廃するか」を極めたいと、留学から帰った四年後に講義ノートを元にした『文学論』を書いている。漱石は近代文学自体に疑いを持っていて、彼の作品が当時主流だった自然主義者からは古めかしいとか子どもっぽいものとしか見られていなかったと知って驚いた。近代文学と言えば、まず漱石と習うではないか。漱石には西洋中心主義や西欧の自己同一性というものへの拒絶があり、彼の創作はその理論から派生した。
2019/09/28
三柴ゆよし
学生時代以来、数年ぶりの再読。これは文学史ではない。ましてその起源に遡及して日本の近代文学を再評価する類の書物ではさらさらない。起源そのものを懐疑し、文学にまつわる有象無象の言説を一挙に相対化する、途方もない試みである。第一章「風景の発見」が、日本近代文学の起源にありながら、すでに終焉を見据えていた作家・漱石に始まっていることは示唆的だ。文学そのものの存在意義が問われてひさしい今日、文学の終焉を叫ぶことすら陳腐になったぬるま湯のなかで、本書を紐解く意義はやはり深い。ひさしぶりに付箋だらけの読書をした。
2011/12/20
こうすけ
柄谷行人の代表作。近代文学とは、二葉亭四迷の言文一致があって、その後に自然主義があって、その裏で漱石と鴎外がいて……みたいなぼんやりした知識だけ持っている自分みたいな人間の先入観をこなごなに突き崩す。ネーションの成立と文学の成立は不可分である、という視点。いまの自分たちが自明のこととして受け取っている様々な事柄の起源を、明治20年代の文学からあぶり出していく。風景や内面の発見が、近代化における転倒から生まれたと語られる。文章がキレキレであっという間に読んでしまう。批評というものの面白さを教えてくれます。
2023/06/28
chanvesa
「明治二十年代における『国家』および『内面』の成立は、西洋世界の圧倒的な支配下において不可避的であった。われわれはそれを批判することはできない。批判すべきなのは、そのような転倒の所産を自明とする今日の思考である。」(137頁)という箇所は示唆に富む。随所に内面の発見や告白からフーコー的方法論がはっきりとわかるが、中心の軸として据えられている漱石と鴎外が、内面や「構成」(246頁)をフィクションとして成立させる近代との格闘し、そしてキリスト教やマルクス主義が補助線的であり、逆に変容していったか興味深い。
2015/08/20
かふ
文学史ではなくどちらかと言えば日本近代史を文学から見る(読む)というような本。けっこう難しいがたまたま国木田独歩『武蔵野』や漱石を読んでたのでなんとなく理解できるかな(本文よりも注が為になる)。独歩『武蔵野』の風景は短歌の枕詞的名勝地ではない。独歩の孤独の内面の問題(失恋と戦争体験を経て見つめた彷徨える個人)と対となる自然(それは人工林だったと)との一体感が言文一致を引き寄せた(「風景」の発見)。発見というが再認識ということなんでは。「病気(当時は結核、「病の文学」)」と「子供(これも成人と対になる)」。
2019/02/27
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