転校生とブラック・ジャック――独在性をめぐるセミナー (岩波現代文庫 学術 238)
転校生とブラック・ジャック――独在性をめぐるセミナー (岩波現代文庫 学術 238) / 感想・レビュー
へくとぱすかる
文庫三回目。ぼくとは、私とは何だろうという、青年期にありがちな思考に取りつかれ、今もってひきずっているので、読むことによって癒される(よけいに混乱が深まる、とも言えるのだけど)。そうであると同時にそうでないという議論が繰り返される<私>とは、「矛盾」そのものではないのか。その「矛盾」が現に存在しているとすると、そんな存在のしかたを奇跡と呼ぶしかないという話も、そこそこ腑に落ちる。もちろんそこで話は終わらない。哲学が主張でなく議論それ自体、を体現したこの本は、座右に置いていつでも議論を「楽しめる」本である。
2022/10/07
へくとぱすかる
再読。永井先生の本は何冊も読んだが、やはりこの本が新鮮さのベストワンだと思う。「時間の非実在性」(永井訳)にもあるが、「私」や時間をめぐっての議論は、どこかで堂々巡りをすることになる。自分として問題のとらえ方は深まったと思うけれど解決はしない。いやいや、解決を求めるのは、実は問題の性質がわかっていない証拠だろう。この本は「主張」のためでも「解決」のためでもなく「議論」のための本であるから。
2017/03/12
ころこ
従来の<私>の独在性がテーマになっています。しかし、問題はなぜ我々(本当は著者が)がそのようなことを考えてしまうのかということに向かっていきます。5章の思考実験による<私>の記憶の継続性だけではなく、3章の後半、意外と良いのが4章、と続いて論じられています。この問題は終章と呼応しています。終章では解釈学、系譜学、考古学になぞらえています。解釈学が内部の視点。系譜学は外部の審級。考古学とは、さらに、そもそもなぜ我々(本当は著者で、本当は理解した読者を含む)はこのようなことを考え得るのかということになります。
2018/11/07
白義
世界でたった一人だけそこから世界が開けている特別な「私」、われありと言われる時のわれにまつわる論点、それをありとあらゆる思考実験、それを考える言語自体の分析まで駆使して深めていく永井独在論の真骨頂。中でも優れているのは13人もの登場人物を駆使した対話篇風の構成。極めて誤解されがちというかそもそもそんな哲学があることを想定すらされない事が多いが、永井均の哲学には何かしらの「主張」や「結論」というものは存在しないし、それを見つけることは全く重んじられていない。そのような誤解を防ぐための方法が見事に成功している
2017/05/12
ichiro-k
珍しく丁寧に時間を掛けて読書したつもりが・・結果的にほとんど理解せずに読了。気になる箇所⇒この私こそが存在する真の私であり、他の人の私はこの私の内部に生じる現象にすぎない。と考える立場は、独我論と呼ばれ、この私もまた、たくさんの私たちのうちの一人にすぎない、と見なす立場は共我論と呼ばれる、というように、この今こそが存在する唯一の真の今であり、他の時点の今はその唯一の今の内部にあるにすぎない、と考える立場は独今論と呼ばれ、この今もまたたくさんの今のうちの一つにすぎない、と見なす立場は共今論と呼ばれる。
2011/01/10
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