エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫)
エクソフォニー――母語の外へ出る旅 (岩波現代文庫) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
エクソフォニーというのは聞き慣れない言葉だが、副題にある「母語の外へ出る」という意味合いの筆者の造語であるようだ。多和田葉子は、在独30年に及ぶようだが、その間に日本語で小説やエッセイを(芥川賞の『犬婿入り』他多数)書く一方、ドイツ語でも創作活動を続ける(ドイツでの受賞も多数)スーパーバイリンガルな作家である。本書は、そんな彼女の言葉をめぐる、いわば思索的エッセイといった趣きのものだ。ここには様々な地が登場するが、それらの地域性は必ずしも重要ではなく、筆者はその本質においてはコスモポリタンな人だと思う。
2013/08/17
buchipanda3
世の中には母語以外で執筆する作家もいる。ドイツ在住の著者もその一人。そんな母語の外に出た(エクソフォニーな)著者が、世界の各都市を巡り、冒険心の溢れる思考で探求した言語論、翻訳論を綴ったエッセイ。さらりと読めながら、理知的で柔軟でユーモアもあり、読み手として心地よく緩やかに思考を促された。中でも興味深かったのは、誤訳について。正誤という道徳論ではなく、訳は国境を越える旅であり、言葉の境界を読み解く可能性を含むという考え。さらに奥の細道の訳で気付く本来の美しさにも合点した。著者の言葉の旅をもっと読みたい。
2022/10/09
佐島楓
ことばというものの不確かさを思う。同じ国に生まれ、同じことばを使っていても、相手の言っていることがわからないということはある。国を飛び越え、異なることばを操るようになったとき、それを使って創作をおこなうということはいったいどういう心境を生むのか。コミュニケーションというより、人間そのもの、ひいては人類そのものの不思議を思わずにはいられなかった。ことばはそのものが生きて、熱を持ってうごめいている。強く意識した。
2019/01/26
ころこ
「A語とB語の間に、詞的な渓谷の間を見つけて落ち着きたい」というエクソフォニーとは、単に母語の外に出るといっても母語を捨てる訳ではないだろう。そうでなければ本書は日本語で書かれていない。永井均の独我論的視点を形容する言葉に「宇宙缶」というのがある。ちょうど缶の内側が継ぎ目のない独我論的な世界として完結するからだ。エクソフォニーとは、この缶を開いたときのことではないか。ただ完結した美しい豊かな日本語という、誰もが多少は信じているイデオロギーを開いてみる。そこに継ぎ目があって、言語の豊かさとは言語の正統的な中
2023/11/21
飯田健雄
この本は刺激的。私は第二言語を習得することは異次元の見当識をも習得していくと思っている。すなわち、日本人であれば、新しい見当識を獲得することである。見当識とは、時間、空間、他人と自分の認識である。英語を学ぶことは、英語の世界の時間、空間、他人と自分の三位一体の認識の中で生きることだ。多和田さんは、日本とドイツのダブルスタンダードなより広いレーベンス・ラウムの中で生きているといっても過言ではない。例えば、Oh My Godはキリスト教の世界、こん畜生は仏教の世界である。両方使える人は二つの世界を生きている。
2020/09/18
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