笙野頼子窯変小説集時ノアゲアシ取り
笙野頼子窯変小説集時ノアゲアシ取り / 感想・レビュー
ごはん
エッセイのような十編の小説集。現実のような虚構のような世界のあちらこちらで、母への思いが語られている。周囲の揶揄を強い語気で投げ飛ばすような言葉の影に、弱さを僅かに垣間見た気がする。ひとりの娘として二度と会うことのない母への思慕は、十編の中に散りばめられ、時間の経過とともに窯変する。けれど、自分の中に存在する母親は、永遠に変わることはない。世界がどんなに色褪せても、それだけはけして変わらない。とくに表題作と書き下ろしがよかったです。ちょっと都電に乗って、雑司ヶ谷辺りを散策したくなった。
2009/07/12
あ げ こ
窯変の美。窯変の凄み。窯変の面白さ。ぐるぐる、ぐつぐつと、回り、巡り、滞り、燻り、深まり、溜まって行き、醸し出されて行く。昇華とは異なるそれ。読む事で感じる愉悦の種類も異なる。常よりももっと薄暗くて、どんよりとした、重苦しいもの。けれど確かに、それでも確実に愉悦である感覚。絶望とも諦めとも、虚しさとも足掻きとも異なるようなそれ。闘いとも争いとも、抵抗とも異なるようなそれの稀有さ。違う時空に在ると言うか。どこにも属さない所に在ると言うか。唐突さに欠ける、穏やかな(けれど残酷な)突然変異の只中に在ると言うか。
2018/10/12
あ げ こ
激変する環境。平穏である事を許さぬかのようなタイミングで起こるトラブルの、その唐突さへの戸惑い。上手くいかなさ。折り合いを付ける為に要した拘りの事。陳腐化出来ぬもの。しようとさえ思わぬもの。途中不安になった。あまりにも無気力で。あまりにも茫漠としていて。そのまますべて手放してしまうのではないか、と思った。あまりにも動きが鈍くて。けれどようやく、見えるようになって来たのだと。晒され続ける内、折り合いをつけ続ける内、自然と。思わぬ風に。掴めるようになって来たのだと。戻って来てくれてよかった、と不意に浮かぶ。
2016/07/28
メルキド出版
「全ての遠足」「一九九六・丙子、段差のある一年」
くままつ
96~97年あたりの作品集。後半3作品が特に印象的。金魚のインパクトが鮮やか。「全ての遠足」を読んだら散歩に出かけたくなって、カメラの充電をしている。台風が過ぎたら、出かけよう。彼女の風景が見える気がする一冊。
2012/09/30
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