神と私 人生の真実を求めて (朝日文庫)
神と私 人生の真実を求めて (朝日文庫) / 感想・レビュー
かやは
遠藤周作の著作から、信仰や宗教に関する文章を抜粋して紹介している一冊。人が幸福になるためには、心が満たさないといけない。その方法が、仏教ではさとりであり、基督教では神の愛であったりする。自分自身の信じる心をもって、心を満たさないといけない。物質的な何かや、他人から受ける愛だけでは満たされないのである。人にとって真に意味のあることは、現実世界には存在しない。日本人として基督教を信仰した遠藤周作がたどり着いた答え。異文化と異文化が混じり合うことで産まれる「雑種」の強さを感じた。
2017/02/20
camus
遠藤周作のイエスキリスト解釈を深く学ぶなら「イエスの生涯」「キリストの誕生」といった著作を読むのが一番だろうけど、全ての著作を網羅的に引用し彼の宗教理解を綴ったエッセイ集。キリスト教の考察には即興の時事批評とは違った真摯さが感じられる。ここら辺は狐狸庵先生とは違った真面目な遠藤周作の一面だろう。キリスト教の理解に神学よりも宗教文学の方が彼には合っていたようだ。愛や信仰に関する考察は、現代科学や現代哲学とは相容れない部分があるのでないかと感じてしまった。本人の痛みや孤独感は本当に誰かと共有できるんだろうか?
2016/10/19
袖崎いたる
遠藤周作のキリスト教観アンソロジー。「私は人によく言うのですが、君は神様は問題にしないかもしれないけど、神様は君を問題にしているのだ、問題にしている以上は、形を変えていろんなことを神様はやってくださっていると。神様はいいほうに向かわせてくれるという一種の信頼感があります。だから、私は信仰を強制する気は全くない。」『私にとって神とは』より、本書のp261。……ここでいう〈問題にする/される〉って一念には凄まじいものがある。
2022/06/22
amanon
今、いわゆる平信徒の立場からキリスト教について、これだけ深くしかも平易に語れる人がいるだろうか?というより、かつては一つの流れとしたあった、キリスト教文学というのは、最早過去のものとなったのか?そんなことを思わされた。先に読んだ『ぼくは~』と同じく、いまだキリスト教後進国において、キリスト教を信仰するとは、いかなることか?ということについて深い知見が散りばめられている。かつて、著者独自のキリスト教観は一部で非難されたようだが、日本におけるキリスト教受容について考える際、今でも大いに示唆的であると言える。
2017/01/16
きょう
遠藤周作の宗教に対する考え方、価値観に触れられたと思う。自分には、人生を通してここまで深く思案できるようなことがらがあるだろうかと思った。
2015/07/01
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