デラシネの時代 (角川新書)
デラシネの時代 (角川新書) / 感想・レビュー
starbro
五木寛之は、新作をコンスタントに読んでいる作家です。本書で、『デラシネ』という言葉を初めて知りました。日本だけなく、世界中がデラシネの時代なんですね。著者も86歳、親鸞の域に達しているのかも知れません。これからも読み続けて行きます。
2018/03/31
かふ
著者が戦後北朝鮮からの引き揚げ難民だったことも踏まえてのエッセイ。デラシネという言葉、フランス語で「根無し草」「流れ者」の意味でモーリス・バレルがフランスのナショナリズムの視点から「根無し草」の難民を批判したが、むしろ故郷を奪われた「根こそぎされた人」。今世紀は「デラシネの時代」だ。植民地も本国もない。移民も本国人もない。グローバルな時代にそこに自立の志を見出さなければ21世紀の希望はない中国のことわざ「落地生根」の心意気(たんぽぽの種)。
2018/07/02
田中峰和
戦後生まれの作家に不可能な体験をした五木。ピョンヤンから38度線を越えて福岡に辿り着いた体験は、後年五木をデラシネ(漂流者)にこだわらせた。宗教対立によるデラシネの事例として、ロシア正教から破門されたラスコーリニキ(分離派)や新大陸に逃れたピューリタンがある。スンナ派とシーア派の対立は今も多くの難民を生み出し続ける。日本でも耶蘇教に限らず、浄土真宗への弾圧は凄まじく、多くの隠れ念仏を生み出した。弱者が差別されるのは世の常。超高齢社会の今、生産年齢人口の減少は国の財政を破綻させ、高齢者の切り捨てにつながる。
2018/05/23
フィシュー
病気でいい、強くなくていい、孤独でいい、明るくなくていいということが後半につらつらと。これは最近ちまたで反乱している繊細さに寄り添って全肯定するという意味のものではなく、当たり前とされている観念の一面性を疑う態度。今の世で軽視や蔑視されてしまっている感情の中にも大切なこと、美学がある。
2023/11/23
よし
「 社会に根差していた当たり前が日々変わる時代に生きる私たちに必要なのは、自らをデラシネー「根なし草」として社会に漂流する存在であるーと自覚することではないか」「 野口体操の野口氏―「 風邪と下痢は身体の大掃除だ。ゴホンとなったら喜べ」」「 悲しみを克服する方法はちゃんと悲しむことなのです」
2022/12/17
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