麻雀放浪記(三) 激闘編 (角川文庫 緑 459-53)
麻雀放浪記(三) 激闘編 (角川文庫 緑 459-53) / 感想・レビュー
雲國斎
なつかしいあの頃,仲間たちとの麻雀は負けのほうが多かったわ。
1979/12/22
taku
前の二編に比べると、面白さは落ちてしまうな。麻雀が娯楽として世間に浸透し、哲やドサ健のようなバイニンが居場所を失っていく姿は物悲しい。新世代の麻雀打ち達にはあまり魅力を感じない。三井はなかなか面白いが、もう少し活かせた気がする。麻雀勝負は熱さには欠けるし、登場する女性も、春美はいいけど弥栄は魅力なし。青春編の始まりと同じく、チンチロリンの場面で終わる。変わりゆく時代に馴染めなくても連中はしぶとい。この物語に相応しいラストだ。
2015/12/04
太田青磁
集団という奴は、どうも性に合わない・金は貸し借りするものではなく、奪い奪われるものと考えていた・いかさまはかまわねえ。だがどう転んでも傷がつかねえ算段をする奴は男じゃねえ・奴は今、反省してる筈。繰り返すが、反省がいい結果を招くことはない・自分は誰の助けも拒絶する。そのために彼女も助けない・世間の風の中で生きるには、汚れることに無神経になる必要がある・勝つには、どこかで、ノンシャランに勝ち運に乗じていかねばならぬのだ・強いも弱いもあるもんか、ただ勝ちゃァいいんだ・博打打ちは総じてケチで、しかも見栄坊だという
2014/04/20
Yuichiro Komiya
ギャンブルであっても、信念を持って行動する人はかっこいい。ドサ健は永遠の悪役ヒーローだ、
2017/05/31
デビっちん
勝ち運に乗っかろうとして、足を踏みはずした奴が敗者になる。博打打ちには結果の良否があるだけ。ゆえに反省して反省の資があがることはほとんどない。心配がなく気持ちにゆとりがあると、自然と勝ち運に乗れる。戦後から復興し始める時代背景に、生粋の博打打ちの居場所がどんどん無くなっていった。時代の変化に合わせて生き方を変えないと生き残れない。栄枯盛衰を体験した坊や哲に、青春編の登場人物のその後が、初期設定を思い出させてくれた気がした。スキルも何もないときに上手くいったことは?そのことを今の時代にどう形を変えよう?
2015/12/01
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