アメリカン・サイコ 下 (角川文庫 赤 エ 1-2)
アメリカン・サイコ 下 (角川文庫 赤 エ 1-2) / 感想・レビュー
ヴェネツィア
財産も有り余るほどあり、学歴はハーバードの学部とロウ・スクールを卒業し(もっとも、本人の弁を信じればだが。また、彼には他者の学歴に対する過剰なまでの拘りがあることからすれば、あるいはこれは虚偽であるかも知れない)、容姿は俳優かモデルかと言われるくらいに恵まれ(これも1人称語り故、真偽のほどは定かではないのだが)た主人公のパトリック。彼に残された快楽は猟奇殺人しかないのだが、それもまた次第に倦怠していかざるを得ない。その行為は18世紀末のサドに似ていなくもないが、思想性は極めて希薄である。⇒
2023/05/04
ケイ
残虐さの加速。極めて狭い世界では正常な男が傷つけない女は、男が意識して手に入れるものを元から手にしていて、でも彼をあっさり受け入れるが、ちゃんと愛してはくれないのだろう。手にいれられるものの容易さとつまらなさ。つまらないものなんかは酷く壊してしまってもかまわない。そんなものはぐしゃりとやりながら、どこかおかしいとわかりながら、辛うじてある均衡。もうフラフラで、倒れるのはもうすぐだと感じている。元から持っているやつらは、最初から少しこわれているが、とてもしぶとい。彼が倒れても、きっと食事の話題になるだけ。
2016/03/06
扉のこちら側
2016年150冊め。【139-2/G1000】主人公はもちろん、他の登場人物もどうしようもない人たちばかりで誰にも共感できない。ベイトマンは快楽殺人鬼であるようでいて、自分がやっていることは褒められたことではないことだとは認識しているのだ。ただ「悪いこと」だという認識までに達していないのであって。人間違いが多いのも、外側の記号でしかお互いを認識していない人間性の欠落からか、誰もがベイトマンにとって代われるんだぞという暗喩なのか。「どこからどこまでが現実だったのか」という終盤ではなく、(続く
2016/03/06
みや
ひたすら並ぶ商品名に辟易し、飽き、読み飛ばしたくなる。延々と続く似たり寄ったりの場面を読んでいると、次第に思考が麻痺していき、ふと気付けば殺人が始まっていた。しかも、それを別段おかしなことだと感じずにいる。これこそが主人公パトリックの置かれた状況なのかもしれない。シリアルキラーと同化していく感覚に心地よく酔えた。情報と物が飽和する現代日本と通ずる点は多く、闇と紙一重のところに立っていることも、その一線を飛び越えたとしても、本人が気付かない可能性もあるのではないか。読後に心が落ち着くと、その恐怖に戦慄した。
2017/11/21
田中
長距離的な短編集だろう。心の回路が壊れている人の脳内運動をこれでもかと露出させ、正常でない行動様式に特化したものすごい独白世界。レーガン大統領のもと、景気は絶好調。随所に現れる不動産王「ドナルド・トランプ」が彼らの究極的な到達点のようで、まさかの予言的だ。外形的な服飾で優劣を競い、自分の巧技だけに気を向けるから、誰との会話もちぐはぐになってしまう。拝金的人々の幼稚なこだわり。残酷な嗜好性と快楽主義がまかり通っていた。それはそれで個人的な割り切りの一面だけど、とにかく毒性が強い一冊だ。
2020/06/02
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